見出し画像

不条理な世界に身をまかせ

2024.1.30 (火曜日) This society is full of unreasonable things.


今、武田百合子の『富士日記』に夢中である。
この日記は日々の当たり前のことしか書かれていないのに、なぜこんなにもドキドキするのか、なぜこんなにも突き刺さるのか不思議だなぁと思いながら、一日中、暇さえあると読んでいる。
昭和の時代の日記という、まるで時代小説を読んでいるような感覚があるのか、それもと武田百合子の根底にある棘のようなものを知らず知らずのうちに受けているのか…(多分後者だと思うが)面白くて仕方ない。

日記を書くということはどういうことか?
本当なら、日記など他人に見せるものではないし、ましてや武田百合子の時代と違って今はSNSで不特定多数に公開している。その不思議さを思うのだが、そういう私もこうやって日記を公表している人間のひとりとして思うのは「こんなことがあった」「こんなことをした」「こんな思いをした」と、いうのを書き連ねていって、自分の歴史年表みたいなものかなと…
そして「どうだ、私の年表すごいだろ」と自慢するのではなく、
「こんなことがありまして...どない思います?」「あなたもこんな経験ありますやろ」という共感を求めているのだろうなという結論に達した。
そういう結論に達したが、それが正しいとは限らずまぁいろいろ答えはあるだろう。

ニュースで漫画家の芦原名子さんが自殺されたと聞いて、またその理由も聞いて本当にびっくりしている。
私は漫画は読まないし、芦原さんのことは存じあげないのだが、テレビドラマの脚本家と原作者のトラブルというのは今回に限らず何度か耳にしている。その度に原作者がいつも虐げらた存在になっているのを残念に思っていた。詳しい事情は私にはわからないということを前提にしても、テレビ局の圧力の問題もあるのだろう。しかしそれに対して争うことなく死を選ばれたというのは本当にクリエイターとして辛かったのだろうなと想像する。
脚本家はいつからオリジナル作品を書かなくなったのだろう。
(オリジナル作品で勝負している方もちゃんといらっしゃいますが)
私も文章を書く端くれとして、やはり気持ちを込めて書いた作品を勝手に変えて、それが当然だという顔をされるのは、やはり辛いなと思った。

謹んでご冥福を申し上げます

2024年に入ってから、本当にいいニュースは聞かない。
自然災害は別として、やはり人間自体が変になってきているのだろうか。
私も人間であるが、せめて穏やかにあらゆることに接していきたいと思う。

あぁ、つらい…


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。