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惑う季節と、惑う言葉。

2024.5.23 (木)  To be at a loss


朝、蒸し暑さで目が覚めた。
まだ4時半ごろだ。

『蒸し暑さで目が覚める…』という書き出しで日記を書き始めるのは、
まだまだ先だと思っていたのだが、今日そうなってしまった。
外は雨が降り出しそうな曇り空で、いや、降り出しそうではなく「確実に降りますよ」そう言いたげな空であった。
早くも嫌悪感が走る季節だ。
『6月から9月までは生きた心地がしない、大嫌いな季節なんです』
と今までことあるごとに言ってきたのだが、今年から5月からに訂正しなければならない。
そのうち4月からになって、10月までになって、1年の半分以上が嫌いな季節となるだろう。
まぁ、そうなるまで生きていればの話だが…

今読んでる本の中に、
『声に出すと神秘性がなくなる』ということが書かれていた。
今まで当たり前のように言葉は発しないと意味がないと思っていた。
心の中で思っていても超能力者でない限り、相手の心の中は読めない。
私はそう思っていろいろ書き始めたのだ。
そして昨年からは厚かましくも音声配信までやり出した。
『おまえどれだけ伝えたいことがあるんだ...?』と自問自答しても、
何ともあやふやな答えしか返ってこない。
声に出すと神秘性がなくなるというのはそういうことだ。
言ってしまえば独りよがりなのだ。
もう何年も前だが山崎ナオコーラさんが『何でもかんでも伝える必要はない。むしろ伝えないほうが素敵ってことが多いのだ』と言ってらした。
それをまた今、思い出した。
本当にその通りだなと思う。

声に出すことは難しい。
だらから言葉を選びたい。
私には、出す言葉と出さない言葉がある。

言葉というと…
昨日、私は病院にいたのだが、待合のソファで隣に座ってらした年配の女性が一生懸命に本を読んでらして、独り言のように「あれっ、これってどういう意味だったかしら?」と何度も首を傾げてらして、その都度スマホで意味を調べてノートにその意味を書いてらした。
それを何度も何度も繰り返してらして、すごいなと思いながチラ見していた。この年齢になってもまだ知りたいという意欲があるんだなと思った。
お顔を見ると、何となく聡明が顔をされていた。
あくまでも何となく...ではあるが。
欲まみれの私は下品極まりない顔をしているから、この方のようにはなれないなと思った。

お昼ごはんは、ネットでバズっている流行りの店に行った。
「美味しい」「美味しい」のコメントがネットで連発されていた。
… … 案の定、あまり美味しくなかった。
流行りの店とはそんなもんである。
たまにはネットに惑わされてみようかなと思った私が馬鹿だった。
うへっへっ…


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読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。