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誰かの10年は、私の10年でもある

2021.3.11(木曜日)  Pray for the world

私はすこぶるマジメなり。

今日はテレビ、新聞紙面、SNS、YouTube、その他のありとあらゆるメディアや個人的ブログで「東日本大震災から10年」というテーマが語られている。こういう部類の特集を見聞きしていつも思うのは、被災した人の生の声と遠くでそれを見ていた人の声との温度差があるということだ。両者の間にはものすごい差があるのだからそれは仕方のないことなのだろうが、『明日、自分の身に起こるかもしれない』という意識が稀薄すぎるのは困ったものだと思う。

私は過去に2度大きな出来事の当事者になっている。最初は1995年の阪神淡路大震災。私の家も亀裂が入り中はぐちゃぐちゃだったが、そんなことより多くの友人・知人を亡くしたことが辛かった。次はニューヨーク同時多発テロだ。この時も多くの同僚や友人を亡くした。自然災害とテロとは基本的に違うのかもしれないが、どちらも罪もない人が次々と亡くなっていくのはいたたまれなかった。東日本大震災の時は遠くで見ている立場だった私は、いてもたってもいられず夫と車を飛ばして現地に入ったが、あまりに悲惨な状況下に何もできずにただお弁当を運ぶボランティアをしただけだった。そのときに初めて当事者と局外者の境目をはっきりと感じた。ボランティアをファッションでやる人もいたりして怒りが爆発したこともあった。100%寄り添うことは難しい。ただ、悲しみや辛さを1グラムでも和らげてあげようという気持ちは持ち続けるべきだし、自分自身もそうありたいと思っている。

遅かれ早かれ次の災害はどこかで起こるであろう。そのときに、当事者になるか局外者になるかわからないが、人間として居るべきところにいて、やるべきことをやろうと思う。


今日は穏やかでいい天気だ。小鳥が気持ちよさそうに鳴いている。春の風に身をまかせながらアイスクリームでも食べてみよう。

でもこんな日ばかりは続かない。

天気が崩れないうちに自分の生き方を考えようと思う。

綺麗ごとでもいいから綺麗なことを考えようと思う。

今日の私はすこぶるマジメなり。





読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。