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ゆらゆらの果て、煙の中に消える父

一歩進むごとに、過去の一歩が失くなっていく。
いつかこの場所もゼロになってしまうのだろう。
『霜柱を踏みながら  3』


レコードはすべて映画音楽だった。爪弾くギターも「禁じられた遊び」、クリントイーストウッドのタバコの吸い方を真似して、スティーブマックイーンのカウボーイハットの被り方を模索していた。あの物静かでどこか陰気な雰囲気のある父がこんなミーハーなことをしているのが不思議でならなかった。もちろん子供の私にはミーハーという言葉もその意味もわからなかったのだが、母の顔色をうかがってる時や仕事で机に向かっている時の父の様子と比べると映画に関わっている時はとても楽しそうだということは子供の私でも感じとれた。映画館にも通っていたようで、チラシやパンフレットなどもレコードと一緒に棚に立てかけてあった。邦画はなくて洋画ばかりでとりわけ西部劇が多かったように思う。その当時は知る由もないが、今思うと好きな映画に時々のめり込むことによって現実から逃げていたのかもしれないと思う。「現実逃避」嫌な言葉だけど、人間誰しもそれは必要なだということを私も大人になって理解できるようになった。洋画、それも西部劇が多かったのも自分の生きる世界とはまったく違った世界にそれを求めたのだろう。父の現実逃避先は映画の中であり、そのスクリーンの中の俳優たちであり、そこに流れる音楽だったのだ。

父が持っていた映画音楽のレコードにはその映画の写真集が付録のような形で付いていて、父は私を膝に乗せ、レコードをかけてその写真集を見せながら説明をしてくれた。小さな子供だった私は「夕陽のガンマン」や「七人の侍」などにはまったく興味が持てなくて、早く終わらないかなといつも父の膝の上で思っていた。でも、ひとつだけとても好きな映画があって、その映画の話を聞くのは好きだった。それは「ウエストサイド物語」。その中でも「トゥナイト」と「アメリカ」が大好きだった。その音楽にも増してジョージ・チャキリスの顔は子供ながらに好みだったのを覚えている。写真集の最初のページに両手を広げ片足を上げて踊るジョージチャキリスが載っていてそのページを見るたびに「カッコいいな」と密かに思っていた。のちに大人になってから「ウエストサイド物語」の映画をビデオで観て、やっぱり「トゥナイト」と「アメリカ」は最高に良かったし、ジョージチャキリスももちろん素敵だったのを覚えている。

レコード棚に並べらていたそれらのレコードはいつ我が家からなくなってしまったのだろう。

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