【essay】 ぱっと咲いて、はいさようなら
先日から『リュウゼツラン』という植物の花が各地で開花したとかで、各ニュース番組などで取り上げられている。
桜の花の開花時期に日本人が大騒ぎするのは知っているが、リュウゼツランのことは知らなかった。すでにご存知の方はたくさんいらして、写真を撮りに現地に来ている方がたくさんいる。
「本来なら、生きているうちに見ることはできないと思ってましたけど、ラッキーです」と、感慨深げにインタビューに答えてらっしゃる。
聞くところによると、花を咲かせるまでに100年ほどかかるものらしく、一生に一度その花が見れるか見れないかのものらしい。
今回は60年で開花したらしいのだが、それもこの暑さのせいであろうということだ。私からすると60年でもすごいなと思うが、本来なら100年かかるのだなとニュース番組を見ながら驚いている。
花は高いところにあるから香りを確認することもできないが、黄色い花はやはり中南米が原産の植物らしく、形も色も日本では異質が感じがする。
そして、100年(今回は60年)経ってやっと花を咲かせたと思ったら、その植物は株ごと枯れてしまうという。
そういうのは、私は嫌いではない。
刹那的というか、潔いというか、いつまでもこの世に名残惜しそうに漂うのは好きではない。
テレビ越しに花を見つめて「よう咲いたね」と労いの言葉を投げかけた。
日頃、暑い暑いと嘆いているが、そのおかげで一生見ることができなかったかもしれない花が見れた。
ムカつく暑さの中のちょっとした朗報だったなと思う。
同じように長い間かけて花を咲かせ、一気に枯れるという植物として『竹』もあるなと思う。
竹は120年に一度花を咲かせるのだそうだ。そして花が咲くと一気に竹林ごと枯れる。
私は見たことはないが、お芝居の中で竹に花を咲かせるという場面をやったことがある。
しかし、竹に花が咲くと不吉なことが起こると言われているらしい。
確かに、お芝居の中でも咲いたと当時に悪いことが起こる設定だった。
そういう意味ではリュウゼツランは歓迎されているが、竹の開花は、実際に不吉なことが起きるのかどうかは定かではないが、少なくとも一部の方々に不安の種をもたらしているのかもしれない。
ぱっと咲いて、はいさようなら。
そういう人生(植物の場合は人生とは言わないのかもしれないが)
私は好きである。私もそういうふうに生きたいものだ。
とはいえ、私の場合もリュウゼツランや竹のようになかなか花が咲かない。
だからかっこよく「ぱっと咲いたよ、はいさようなら」とはいかないのだ。
いや…
ひょっとしたらもう咲いたのに、ぐずぐずと枯れた過去を引きずり生きているのかもしれない。
読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。