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映画で知り、本で生き、舞台で弾ける。

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映画、本、観劇の記録です。 この3本の柱でわたしは成り立っています。
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#読書記録

BLANK PAGE (空っぽを満たす旅)

【読書感想文】BLANK PAGE 空っぽを満たす旅/内田也哉子 樹木希林さんと内田裕也さんの娘である、内田也哉子さんが書かれたエッセイとなる。 この本はかなりの人気だと聞いている。現に私の知人の半分がこの本を購入していた。也哉子さんのお母様である希林さんの人気も凄まじかったが、その娘となると若い方も加わってさぞかし人気なのだろうと思う。 希林さんは、女性の方、それも若い方というより年を重ねられた方に絶大な人気がある。 希林さんが生前書かれたエッセイは今でも売れているようだ

現実的なくせに、どこか弱虫

2024.2.5 (月曜日) I'm wimpy 雨の月曜日である。 『雨の月曜日』とかいうと、詩や小説の題材になりそうだが、 私にとっては週の初めなのに鬱陶しいなという感情しかない。 今日の私は過度に現実的である。 時々、過度にロマンチックになるから帳尻合わせとしては丁度いいのかもしれない。 夫はいつも自転車通勤をしているが、雨のせいで徒歩で行くようで、 「あぁ、めんどくさいな」と、夫もまた今日は現実的な様子である。 市川沙央さんの『ハンチバック』を読み終えた。 読み

【読書感想文】 いのちの初夜・北條民雄

重いです。 辛いです。 悲しく切ないです。 言葉のひとつひとつにそれらの感情が込められている。 そしてそのすべての言葉にリアリティがある。 それは単なる創作作品ではなく、自分の目で見て肌で感じてそれらに触ってきたから書ける言葉だなと思う。 しばらくこれほどの感情をぶつけてくる作品を読んでなかったせいか、 ちょっと戸惑いながら(不穏を隠せないまま)読み始めた。 この作品集は癩病(ハンセン病)を患った作者が書いたハンセン病患者を収容する強制隔離施設の様子を描いた作品である。 読

八月の母

「八月の母・早見和真」を読了した。 長く苦しい本だ。 読者を嫌な思いにさせる本だと思う。 それは批判しているのではない。それだけ考えさせられる本ということだ。 冒頭は幸せそうな家族の描写から始まる。 しかし、これから長い長い苦しみが描かれるのだろうなと予測させるものが言葉の端々から感じ取れる。 この物語は愛媛県で実際にあった事件を元に書かれたものだと聞いている。 母親と子供、切っても切れない呪縛でがんじがらめにされた事件だったとしか私は知らない。 物語は愛媛県伊予市とい

私の盲端

朝比奈 秋/私の盲端を読んだ。 全編を通して『便』の匂いが立ち込める。 想像力の豊かな読者ほどそれは顕著に現れるだろう。 私も幸か不幸か想像力は豊かな方だ。 それゆえよりリアルにこの物語と接することとなった。 * 物語は、 ある日、飲食店のバイト先で大量出血をして病院に運ばれた女子大生の涼子。直腸の腫瘍を取る手術で人工肛門になったことを目が覚めてから知った。 その後、バイト先、大学生活などでさまざまな経験をしていく。 そんな中で知り合う同じ境遇の人たちとの奇妙な交流でい

父のビスコ

読書記録[父のビスコ / 平松洋子 著 / 小学館] 食べ物の記憶というのは不思議なもので、もう何年もその食べ物にお目にかかってないのに、思い出した途端に鼻腔にその時の匂いが広がり、頭の中にその時の状況が浮かび上がる。 誰にでもそんな思い出の食べ物がひとつやふたつあると思うが、この作品は著者である平松洋子さんが生まれ育った倉敷で巡り合った食べ物、東京に出てから巡り合った食べ物など自分自身や家族とのエピソードと共に綴られた自伝的エッセイ集だ。 平松洋子さんの子供の頃からの記

ある日。 から始まる日記

武田百合子さんのこと。 武田百合子さんの『富士日記』を読もうと思って購入したが、一緒に購入した『日日雑記』を先に読んだ。 日記形式で日々のいろんなことが書かれているのだが、この日記には日付が記されていない。 どの日の日記にも日付の代わりに『ある日。』と書いてある。 (お正月の日記にだけは『正月三ガ日』と書かれてる) それを読んで私は理由もなく、「なんかかっこいいな」と思った。 日付の有無はとても重要な時もあるが、果たして日記に日付は必要なのだろうかとふと思う。誰にも見せない

無意識という犯罪

人生の謎について 松尾スズキ

この本のタイトルを見た時に、「あなたが謎だよ、松尾さん」とツッコミを入れたくなった。他人の人生で「あの人、謎だわ」と思う人は多々いるが、私の中では松尾スズキほど謎な人物はいないとずっと前から思っていた。今もそう思っている。この本は松尾スズキの人生の謎について書かれたエッセイで、普通言えないよなこんなことと思えるようなことも堂々と書いてあるから素敵だ。 私は松尾さんが携わるほとんどのお芝居や映画やドラマなどを長い間観てきたが、松尾さんはほんとうに謎多き人だった。特に舞台上では

L'ARMINOTA 戻ってきた娘

13歳の頃の私は何を考え、何に苦悩していたのだろうと考えながら読んだ。13歳という年頃は、何もなくてもどこか不機嫌でいつも何かに悩んでいる年頃なのだ。でもこの作品の中の「わたし」は、突然理由も告げられないまま苦悩の中に放り込まれてしまう。 舞台はイタリア・アブルッツォ州...恵まれた家庭で育った「わたし」は、13歳の時に理由も告げられずに本当の母(産みの親)の元へと戻される。戻されたその家庭は貧困に喘ぐ子沢山の家庭で、いつも暴力と怒号が飛び交う家庭だった。そんな家庭で「わた

日常性というこのもっとも平凡な秩序こそ、もっとも大きな罪がある

占いと予言の違いは何なんだろうか?
この本「第四間氷期・安部公房」を読み始めた私の最初の疑問だった。

予言機械なるものが作り出されたところから物語は始まる。 

『地球にある陸地は水の底に沈んでしまう。
異常気象、温暖化、人間のエネルギー大量消費による二酸化炭素の増加...
そのような原因から、いずれ海面が高くなって...』
現在のニュースでも時々聞くような台詞だ。
これが62年前に書かれた小説だというのが信じられないくらいの生々しさがある。 

そしてその来る日に備え

肉体のジェンダーを笑うな

母親が出す母乳のように父親が医療によって父乳を出す話や、女性のPMS(月経前症候群)の辛さを知リたくて生理が始まる夫、か弱い女性という立場が嫌で筋肉ロボットを装着する女性などが現れる。荒唐無稽な内容ではあるが、本質はものすごく深く考えなきゃいけない問題が潜んでいる。男女の区別は生物が誕生してからあったのだけど、男女の区別だけではなくその人個人の肉体的な特徴の線引きがどうも腑に落ちない主人公たちがいる。いや、この作品の中の人物だけではなく、現実の世界にもそう思っている人は確実に

Hey, you bastards! I'm still here!

Hey, you bastards ! I'm still here ! 映画「パピヨン」のラストシーンで主人公が叫ぶ台詞だ。 著者は、何度となくこと台詞を叫んだに違いない。 『道行きや(Hey, you bastards ! I'm still here !)・伊藤比呂美』を読み終えた。はるか遠い国を思い、そして日本を思う、果てしない読書だった。 私よりお姉さま世代の主婦たちは伊藤比呂美さんの本にかなり励まさせれて子育てをしてきたということをよく聞く。彼女

痺れをあげましょう、極上の。

以前読んだ料理関係の本に、人間が痛みを欲しているときは無意識に激辛料理を食べたくなるということが書いてあった。辛味は痛みに分類されるらしい。確かに唇や舌がヒリヒリするくらいの唐辛子が入った料理は痛い。その痛さを快感と感じる人がいることは確かだし、時々猛烈に辛いものが食べたくなるときがある。そういう意味でいうと、人間にとって痛みは必要不可欠なのだろうと思う。しかし私は激辛料理が苦手だ。痛みの快楽を得る前に胃が痛くなってしまうから色気も何もあったもんじゃない。その代わりになるかど