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シン・新社会人へのアドバイス

今日も今日とてSNSを巡回してると、皆一様にこの文言を使っている。

「新社会人へ」

特にTwitterなんやけど、こういうツイートが溢れると、ああもうそんな季節やねんなと感じます。

こういうアドバイスをわざわざ不特定多数が見てるSNSでしてるってことは、リアル世界でも近しい新社会人にもちゃんと言ってるんやろなぁと思います。

特に、ちゃんと働いている人は、それこそ勤め先に『新社会人』が入ってくるじゃないですか。

仕事でもプライベートでもアドバイスしまくって、大変じゃないか…?アドバイスしすぎてストレスにならんか?よくみるアドバイスは、「いかにストレスを上手く逃すか」的な事を言ってるものが大半を占めてますが、アドバイスする事が負荷になってませんか?

いや、こういうのは俺が考えた最強のアドバイスをインターネットの海に放流することでストレス発散になってるんかもしれん。てか絶対そうよな。

どっちにしろ、立派だと思います。それはつまり、アドバイス出来るほどの切磋琢磨を続け社会人生活を研鑽してきた証なので。

私は人にアドバイスできるような社会人ではないです。こうした方がいいよってアドバイスは特にないし、あってもとっくに誰かがもっとわかりやすく言ってくれてます。

でも、そんな私だからこそ言えることもあります。それは「エラーと向き合おう」です。

私の社会人生活はトライ&エラーの繰り返しでした。

そんなんみんなそうやろって感じやし、これから職場で100億万回聞く言葉やと思います。

でも、エラーと向き合うってのは別に仕事上の話だけではありません。
ここで言いたいのは「心のエラー」です。

ここからさらに長い自分語りなのでサッと結論だけ読みたい人は終盤くらいまでスクロールしてもらって大丈夫です。

むしろスクロール推奨です。


私が大学を卒業して最初に就いた仕事は、顧客への飛び込み営業でした。自分で言うのもですが、私の顔はいわゆるおかめ顔でそれでいて外ヅラはいいので人柄が良く見られがちです。なのでそれなりにアポも取れました。でもやっぱり中には飛び込み営業自体よく思ってない人からの心無い言葉とかプレッシャーで自信より恐怖が大きかったです。最終的にインターホン恐怖症になり(なんそれ)、その仕事はやめました。

仕事辞めて1ヶ月後には転職しました。憧れてたライターの仕事。アルバイトやけど。部署の先輩方はみんな優しくて、何も知識がなかった私が色んなことに興味を持ちました。コスメめっちゃ好きなんですが、きっかけはこの仕事でした。当時の同僚には今もたまに連絡とって遊ぶ子もいてます。それぐらい楽しかった。

この頃実家に住んでたんやけど両親が家庭内別居してて家の中は常に冷戦状態でした。
そんな家に帰りづらい気持ちと、残業とか仕事終わりに同僚とご飯行ったり遊びたかったりで遅い時間に帰宅してた。
仕事終わりにアメ村で古着屋見たり大丸のデパコスコーナー巡回したり終電までシーシャ屋でダラダラするの楽しかった。

でもそんな生活も2年くらいで終わりました。

社長がかなりパワハラで、最初のうちはそこまでだったけど、それなりに出来ることが増えてくると社長直々に詰められることが出てきた。
酷い時は夜中急に激おこメッセージきたり。しかも内容は「なんでこの数横ばいやねん!」って…今言うこと?みたいなのばっかりだった。もはやモラハラやろって言葉も容赦なく浴びせられたし。おまけに家は冷戦で心休まらんしw

仕事中もプライベートもいつ来るかわからん社長のパワハラに怯えて、家にも帰りたくなくて、

電車がホームに入ってくる時、「今飛び込んだら楽になれるんかな」って毎日思ってた。痛いの嫌いやからせんかったけど。

そういうのが積もり積もって仕事に行けなくなって、近所の心療内科行ったら病名がついた。

体調もすごく悪くなって、結局仕事は週1しか行けなくなって、お金無くなるし、辞めた。

所属してた部署の人達は優しかったし仕事も楽しかったから悔しかった。

母と妹にはめっちゃ迷惑かけた。病院の送り迎えとか、外に連れ出してくれたりとか。

金稼いでないくせに浪費して、それまで貯めてたお金はかなり減った。父のせいでお金に苦労した母にはめっちゃ怒られた。

最終的には母に「こっちが病院行きたいわ」って言わせてしまった。
それからは定期的に「ほんまにまだ病院通わなあかんの?」「いつ治るの?」ってしょっちゅう言われるようになった。

目に見えない傷の病気やから、いつ治るかなんてわからんのにな。

そう言われるともう病院行けなくなってもて、全然治ってないのに病院行くのやめた。
長くなったけど、ここが私の社会人生活最大の「エラー」。

治ってないのに通院を勝手にやめること。

これもし骨折とかやったらまずしないよね、病院行かんとか。完治させたいよ。

でも当時の自分は、治ってないことへのプレッシャーの方がつらくて、治ったふりをした。

そして転職した。

2回目の転職。同じ業界。前職のトラウマで完全にビビり散らかしてたけど、そこの会社は仕事中に誰かを大声で怒鳴ったり、夜中に不要不急の内容で詰めたりするメッセージが送られてくることは無かった。
それが普通という事にやっと気づいた。

不思議なもの、というかあるあるでもあるんやけど収入が安定するとある程度心も穏やかになるみたいで通院がなくても薬がなくても以前のように働いて遊んで普通の生活ができるようになった。

学生時代から付き合ってた彼氏に対して向いてた強烈な結婚願望も良い意味で落ち着いて、「楽しければ今の関係のままでいいや〜」のフェーズに突入してわりと心穏やかに過ごしてた。

そして、5年以上続いた両親の冷戦もようやく離婚という形で収まる兆しが見えた。

しかし、ここで私以外に「エラー」を溜め込んでいた人間が1人限界を迎え始める。

二つ下の妹だ。

常に場の空気を読んで決して人前で感情的にならず、冷戦状態の両親と心病んだ姉が待つ家に毎日真っ直ぐ帰宅していた妹。

両親の冷戦は私が大学生の頃から始まったのだが、私は当時学校の近くで一人暮らしをしていた。
しかし妹は実家から学校に通っており、社会人になってからもずっとずっと耐えてきた。

耐えた反動はでかく、妹は毎晩のように泣いていた。
私は妹を助ける術を知らなかった。

私は初めて後悔した。
もし、あの時治療をやめず完治していたら、
病院で薦められたカウンセリングに通っていたら、
もしかしたら妹のために何かできたかもしれない。

自分の心の治療すら投げ出した者に人の心を癒すことなんてできなかった。

両親の離婚後、唐突な引越しと環境の変化によりしばらくは心乱れることがあったものの、数ヶ月もすれば安定していった。
妹が私の前で涙を見せることも無くなった。

その後、私は彼氏との同棲が決まりまたも居住地が変わった。
でも実家は既に落ち着いてるし、私も正社員として安定した生活を送れてる。
なにも不安などなかった。

でも、心の病というのは驚くほど唐突に再発する。
同棲開始から3ヶ月。世の中はコロナ禍というものになり、在宅ワークとなった。
家好きやし、在宅楽そうやからラッキーって思ってた。
でも、そんな生活を暫く送っていると徐々に自分の思考や行動はおかしくなっていった。

まず、毎日メールの受信ボックスを常に確認しないと不安に駆られるようになった。
酷い時は3分に1回見てた。ほとんどメルマガしか来ない受信ボックスを。
次に、自分のクレカの利用明細も常に見てないと不安になるようになった。
謎の引き落としがないか、引き落とし金額が払えるか、そのころはそれなりに節制していたにも関わらず、「無意識に浪費している妄想」に囚われていた。

こういった不安は常に心の中に付きまとい、ついにご飯を食べられなくなった。
最初は彼氏に迷惑かけまいと、お腹の調子が悪いとかおやつ食べたからとか言い訳してた。

彼氏が目の前にいる時も受信ボックスがきになる。クレカの引き落とし額が怖い。
もうその時には自分がまたおかしなってるのは自覚していて、でも母に言われたことがトラウマで彼には自分の状態がバレたくなくて。
不安が酷い時はもう眠いからって嘘ついて自分の姿を見せないようにしてた。
でも結局すぐバレた。

彼は「心療内科に行こう」と言ってくれたが、
やはり母の言葉を思い出し、そして心の奥底にあった結婚願望が、
心の病気だと解るのが怖くて抵抗した。

あの時の治療を怠ったことで、また「エラー」になった。でもそれを認めたくなかった。

しかし彼は、当たり前やけど母とは違う人間だ。
「風邪ひいたら病院行くやろ?君のそれは心の風邪や。やから病院に行くねん」
と、エラーをあっさり認めてしまった。

私があの時から数年抱えてきた、心療内科にいくことへの罪悪感が少し消えたような気がした。

そこからの行動は早く、最寄りから一駅の心療内科に行くことになり、診断結果も出た。

抑うつ状態だった。

治ってたと思ってたのはたまたま職場や家や日常生活が安定していたことで一時的に落ち着いていただけで、要は寛解状態にあったという話だった。

しばらくは彼が付き添いのもと定期的に病院に通うことが出来、その甲斐あって私の謎の行動は次第に落ち着いていった。

そこからは彼との入籍、東京への転勤、3度目の転職など目まぐるしい日常が過ぎた。

今も私は、近所の心療内科に転院して治療を続けている。
昨年からはカウンセリングも受け始めた。

コロナの影響で本業の出勤日は減ってしまったけど、勤め先の上長は10年来の友人であり私の病についても理解があるため、私の体調を気遣ってくれたりできる限り仕事を回してくれたりしている。
なんなら今私がせっせこやってるフリーランスのアドバイスまでしてくれている。

先に上京していた友人と遊んだり、関西にいる旧友とはオンラインで喋ったりしている。

夜に通話しても夫は怒らず、私の調子に合わせつつ外に連れ出してくれる。

本当に自分は周囲の人たちに恵まれている。

それでも、1日動けない日や自己嫌悪・希死念慮に駆られ健全な日常生活すら送れない日がある。収入が減って、夫におんぶにだっこな自分は無価値だと呪う。

そんなときは迷いなく頓服を飲む。夫に報告する。どうしようもない時はカウンセリングに同席してもらってる。何もしないをする。
エラーをエラーだと認めてあげることを、やっと今できるようになった。

私は修正までいつも時間がかかる。

カウンセリングでこれまでの人生を振り返ってトラウマやそれに縛られてる当時の自分癒すっていう作業をずっと続けてる。
今やっと中学時代編が終わった。道のりは長い。

それでも、自分の治療にカウンセリングは必要だったと気づけた。

このエラーは最初に通院してた時、母の言葉なんて気にせず通い続けてたら完治していたかもしれない。

でも、寛解期間も楽しいこと嬉しいことたくさんあった。友達も増えた趣味も増えた。それは今もおなじで、目標や夢は数え切れない。

未だにエラーを治し続けてるということに自己嫌悪するけど、自己嫌悪するからこそ今度こそ完治させようと思う。


で、ここが結論。


こんな私なんぞが、他のちゃんとした社会人のように「自分を大事に」なって言える立場じゃない。

ただ私が、エラソーに新社会人にアドバイスするなら

今までにないくらいずっと不安になったり自分が嫌になったり不意に死にたくなったりしたら、
それは心のエラーなので
躊躇わずに病院やカウンセリングを受けたりしてみて下さい。

もし何かしらの病名がついたときは、
体調のことなので職場には言っといた方がいいですが、家族や友人は「この人は言っても大丈夫かな」って思える人にだけ言ったらいいと思います。

現に私は、過去のこともあり母には通院のことは言ってません。万が一のため妹には伝えてますが、母には言わないようお願いしてます。

時間やお金がなかったり、病院はちょっと…って場合は「こころが晴れるノート」っていう本使ってみてください。
自分で認知療法っぽいのもできます。
Amazonで売ってます(ダイマ)

以上です。

というか、
SNSの大人たちが言ってるアドバイスを心の隅に置いて、自分を大事にしてたらたぶんどうにかなります。

社会は厳しいですが、案外世界は優しいです。

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