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労働と仕事

ブルーベリーの開花も終わったので、木更津市内のブルーベリー園に置いていた4箱の巣箱を袖ヶ浦市の自宅の裏の蜂場に移動しました。雨の中の仕事もまた楽しいです。

ところで、早朝しかも雨の中、重たい巣箱をA地点からB地点に運ぶという作業が、もし仮に自分でない誰かから命令されたものであったとしたら、この仕事は単なる肉体労働となり、辛いものになります。どんな作業も、誰かからの指示で行えばそれは労働となり、それを行う者は労働者となります。

カールマルクスは、労働者は労働力という商品を売っていると言っていますが、そもそも仕事というものが、自分の意思で行うものとならなければ、それは商取引の対象となり,使い捨てられ,買い叩かれてゆきます。資本主義社会であれ、社会主義社会であれ、共産主義社会であれ、社会が生き難いものになる本質的な原因は、自分の意思を伴わない労働にあるのでないかと思います。

ところで、巣箱の移動中は蜂場に於ける蜂群の適正群数について考えていました。適正群数とは、ある場所に於いて、1年間無給餌で巣箱を管理できる群数の事です。10年以上いろいろなところに巣箱を置いてきて改めて思う事は、いまの日本の里山に於ける適正群数は、思っている以上に少ないのではないかという事です。環境依存型の養蜂は既に限界に来ている気がしています。

梅雨入りを前に、適正群数というテーマについて、もう一度真剣に考えねばなりません。



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