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現代に萌芽したパンクロックとしての回転寿司バズり

1970年代半ば、イギリスロンドンは内戦に疲弊し、職を失った現役世代で溢れかえった。彼ら彼女らは反社会的な行為に明け暮れ、それはパンクロックに昇華していく。

彼らが求めていたものは、後々は政治的で高尚なメッセージとして語られることになる。だけどそれは底流する不満と欲求の、混沌として澱んだ、汚らしい世界を見ない口実でしかない。
職を失い、望んでいた夢や希望も叶わない世界に唾を吐きつける。それがパンクロックの本質に他ならない。「質の良い楽器演奏?そんなものはお金がある家に生まれた奴らの道楽だ、俺たちにはそんな余裕はなかったし上手くもないさ」とシンプルなパワーコードとビートを刻み、叫ぶような歌にメッセージを載せる。


重要なのは、彼らには教育やお金の余裕がなかった点だ。

先回りしてスシロー案件の若者たちに対し「彼らはちゃんと学校や塾へ行っている、教育が足りないわけじゃない」「スシローにいく程度には金を持っていた」と反論したい気持ちは分かるが、もう少し待って欲しい。

現代日本において、若い彼らが思い描いている世界観は、”最悪投げ銭で生きていく”という厭世的なものだ。普通に教育を受けて、普通に働いて、という価値観は通用しない。普通に生きてても不意打ちで死ぬ。車が突っ込んできて同年代が犠牲になるニュースを散々見てきたのだから、そういう考えになってもいたしかたない。

ネットが繋がる環境であれば、そこに何度でもアクセスできる。YouTubeやTikTokやInstagramは、彼らにとって砂場遊びができる絶好の場に違いない。失敗したらアカウントを作り直す、あるいは炎上してインプレッションを稼いだらアカウント改変して旨みだけ残す。それは一種の処世術として、あるいは自身のセーフティーネットとして『確保しておきたい』ことなのだ。将来年金はもらえないと言われて久しいから、そういうインカムゲインを確保しておかねばと考えることは自然なことだ。

彼ら、彼女らの手元にいまある現金は、彼らが年齢を重ねるごとに雲散霧消していく。それを理解していると、僕は見ている。彼らは現代ではなく未来の貧しさ、未来での教育の乏しさ(つまり習ってもない技術で仕事が奪われる等)を抱いている。

当然、犯罪は許されない。法によって裁かれ、制裁を受けるのが社会の道理というものだ。
だがなぜ今になって、いやもっと前から炎上商法はよくあったが、なぜそこまでしてインプレッションを追い求めている人が多いのかを、大人は考えておく必要があると思う。
悪いことは良くない、やるべきじゃない。だけどじゃあ、普通に生きていて夢も希望もないなら、どうすれば”良い人生”になれるのだろう。いや、せめて良くはなくても”生きてる”を実感するにはどうすればいいのだろう。

炎上商法を看過して楽しんでいる大人たちを見て育った子どもによる、パンクロックが世間に鳴り響いている。我々は耳を塞ぐか、弾圧するか、それとも。

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