コンテキストと自分の作品を考える


なっちゃんさんが佐渡嶋さんの漫画対談の記事を書いてくださったので気になったので見てみました。

コンテキストとは「文脈」とか「流れ」という意味だそうで、漫画家の大切なコンテキストとは、作者が作品を受け取ってもらうための文脈ということでした。

この記事の中で、作者が読者に作品を受け取ってもらうためには、社会とのつながりそうなものを見つけるとよいと書かれてあります。では、ずれてしまっている人はどうすればいいかということで、自分が描きたいことと社会との共通点を見つけるということですが、

最近瞽女のアニメーションを作ろうと思い色々調べたりネタになるものはないかと思って探しているのですが、意外なところで、現代社会とリンクしていることを発見すると、おお!と思ってしまします。

瞽女は目の見えない旅芸人で、スペイン風邪で死んでしまった瞽女や疱瘡で幼いころ目がつぶれてしまって瞽女になった少女とか、瞽女が最盛期だった近代は今のコロナの時代と似ているのかもしれないなぁとか、

前にマトリックスの三部作をまとめてみたのですが、こちらも瞽女とリンクしている感じがしたんです。マトリックスは”私たちの目に見えている世界は、コンピュータプログラムの作り出した仮想空間である”というのが世界観ですが、では目が見えていない彼女たちは、私たちと同じ空間にいながら、違う世界を見ていたのだろうかと想像すると、とても面白いなぁと思います。

瞽女唄に関しても、現代社会とリンクするところがあって、現代の歌曲といえばすべて著作権というものがついています。なのでCDを買っても聞くだけにしてくださいという注意書きがあったりしましたが、最近は権利を緩くしてもよいのではと考える人たちも増えてきて、期間限定でこの楽曲を使ってダンスをしたものをSNS動画にアップしてもいいですよというのがあったり、著作権を考えない作家さんも現れたりしてきました。

瞽女歌は元歌は誰が作曲したかわからないので、この時点で権利がなく、演奏する瞽女さん一人ひとりで歌い方歌詞を変えたり、そこで聞きながら楽しんでる村人の囃子が入ったり。また同じ歌でも、地域や時代によっていろいろアレンジが加えられる。様々に変化するところは歌が生きているような気がしてとても面白いと思ったんです。

瞽女唄とSNS動画、お互いにかなり時代が違いますが、一人の権利よりみんなで楽しむという点では共通しているのではないかと思っています。

目の見えない世界がどういうことなのかということで、書物を読んでいたりしたら、視覚情報がない分集中できる面もあるそうです。そして音に対して敏感になり、それで周りを見れるということもあるそうです。ブラインドサッカーの選手は、周りの人のコールとか、ボールの鈴の音などで、相手の位置や味方の位置や動きなどを把握できるそうです。敵も味方も音で、反応しますから、わざと音を鳴らしたり鳴らさなかったりのフェイントもあるそうです。

そんな情報からブラインドボクシングなるものがあると知り、風のファイトが生まれました。

漫画を描くにあたって題材にしているものを追い求めていると、色々な発見があり、社会の結びつきや、自分の普段の生活までリンクされるので、とても面白いと思っています。

旅する巨人 宮本常一が、民俗学を学ぶ学生に、本の中に答えはない、自分が研究したい地域に行きそれぞれの場所で自分だけのフィールドワークを見つけなさいと言っています。

なにごともやってみなければ、わからないですね。

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