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わたくしめに水をやる

2022年、全てが変わった年だった。
4月から社会人になった私にとっては。
だから、まだ不規則なテンポで歩く私の
2023年の抱負を書いておきたい。

生活のためのリズムや、口に出す言葉が
これまでの人生とまるっきり変わった一年で。
というか、それらを変えなくてはいけないと…
と、一種の強迫観念みたいなものがずっと付きまとっていた
そんな一年だった。

どんどん変わっていくような過渡期にある業界に入り、
だから、そのためのキャッチアップや勉強が必須な
そういう世界だった。
周りの何年もこの業界にいる先輩たちですら、
勉強熱心で。
新米である私はどれだけ何を頑張ればいいのか
うやむやながらも、突っ走ることしかできない、
そんな平日を過ごしてきた。

自分はまだ何もできないのに、毎月毎月お給料日には
それなりの金額が振り込まれる。
それがむしろ不安で、「こんな私がこんな額をもらっていいのか」と考え込んでしまって、
せめて、この給与明細に記されている数字に相応しいくらいの人間にならないとって、
そういう焦りしかなかった。

だから、退勤の打刻を押しても、考えるのは
仕事のことばかりだ。
仕事の内容だけにとどまらず、
色々手取り足取り教えてくれる先輩方に、どう接するべきなのかとか
会社内の人との関わり方にも頭を抱えていた。

まとまった時間があっても
好きな映画を観るよりも他にすべきことがあるのかなとか
今遊んで体力を使うより仕事に体力を残しておいた方がいいかなとか
相応しい私になるための修行みたいな日々だった。

音楽のサブスクリプションサービスが
今年1年私がよく聴いた曲のまとめを作ってくれて
もう2022年が終わろうとしていることを知る。
そうして見ると、昨年よりも圧倒的に聴いていた時間が短くなっていて
目に見えて、私が私のための時間を過ごしていなかったことに気付かされた。

それは音楽だけじゃなくて、
私が私のために食べたご飯、出かけた場所、読んだ本、
そういうものが圧倒的に少なかった一年だったのだと
じわじわと気付かされた。

私はいまだに、私が私のためだけに存在していいということが分からない。
私は誰かや何かに役に立つ何かでいなければいけないのだと思っているし、
その考えをやめるにはどうしたらいいのかは分からない。

それは私生活の中でもそうで、
恋人といるときは恋人が好む服装や格好をしてあげたいと思ってしまうし、
家族といるときは家族が聞きたい話をしてあげないといけないと思っている。

お金という、わかりやすいもの差しが与えられている
仕事という日常の一部に関しては、私生活以上に
「そのための私」であるべき、であろうとするべきだって
そう考えて過ごしてきたのだなぁ。

どうせ本を読むなら仕事に役に立つ本じゃなきゃ、
そんな風に考えていたから
通販サイトのお気に入りの欄は
読みたかった小説とビジネス書が不自然に入り乱れている。

2023年は、私が私として過ごす時間をできるだけ増やしたい。
こんなわたくしめを慈しむ時間をもっと増やしたい。
それがわたしという芽を育むことになると思うから。

『わたくし め に みず をやる。』

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