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どうかどうか、皆んなのいちばんが出せますように

ずいぶんnoteを放置してしまったけれど、久ぶりに腰を据えて文字に残しておきたくなった。
とても長くなってしまったけれど、備忘録として。

長男のこと。

中学から始めた陸上の棒高跳。
中高一貫校で高校受験がなく、ブランクなく続けてこられたから通算4年ほど、彼は毎日長い棒を持って走ってる。

高校に入り、同じグランドで練習が続くものの、環境はガラリと変わった。
勉学重視の学校の中で、唯一と言っていいくらい「ガチ」部の陸上部。
25年以上その部を牽引してくださってきたレジェンド顧問の先生のおかげで、練習の厳しさだけでなく人間としての在り方まで徹底して叩き込まれてきた。昼休みはグランド整備があるからお弁当をゆっくり食べる時間がなく、毎日早弁。週に一度のミーティングでは「部全体の気や波動を上げるための心構え」なんて話をされる。今の時代なかなかないわよ、というくらい先輩や先生への礼も徹底されてた。

そんな中で毎日の練習を重ねてきた長男、とくに陸上オフシーズンの冬期練習は寒いしキツいし基礎練習だらけだし、とにかくキツかった様子。
毎日朝練にも行って、もちろん夕練にも行って、週末も終日練習。昨冬は学級閉鎖が連発するほど同級生や先輩がインフルやコロナになり、棒高跳のメンバーがどんどん減っていく中、残り1人になってもなお練習に行き続けてた。
帰宅するとすべての語尾に「疲れた」がつくくらい疲れ切って、でも翌朝ちゃんと起きて朝練に行ってた。

シーズンが再開したこの春、冬場の頑張りが奏して自己記録を一気に50㎝更新してきた。正直、見ているこっちがびっくりした。伸び悩んできた記録、それは彼の技術云々より、自分はこんなもんだろ、と上限を決めてるからじゃないのか、とか密かに思ってた。壁だった4mをひらりと跳び越えたとき、自分がやってきたことを噛みしめるような表情で、さらに高みを目指す彼の横顔が、我が子ながらに眩しかった。


よかったね、今シーズンはもうどんどん伸びていくに違いない。と、明るい先を想像して母はひとり心踊ってた。

が、ここでまさかの神さまの悪戯が勃発する。

これまで、一緒に練習してきた1年上の先輩が2人、そして長男。同級生で一緒に棒高跳をしている子が今冬から体調を崩して休部中のため、この3名で練習も大会もこなしてきた。
そこに、1年以上体調不良で休部していた先輩が復帰することとなった。一時は外出も危うかったらしいその先輩が、部活復帰まで漕ぎつけられたのはなんとも喜ばしいこと。
だけど、だけど、「い、今?!」と、思ったのも正直ある。というのが、この復帰した先輩、休部前から長男を含めた3人の自己ベストを凌駕する記録の持ち主だった。

上手な先輩が復帰してくれたなら、練習もより刺激があって楽しくなるね。
最初はそんな呑気なことを思ってた母、近畿大会や全国大会への出場権を決めるための府下大会には、各競技各校より3名までしか出場できない、と聞いてちょっと慌てることになる。

冬場の血を吐きそうな練習、この府下大会に出て近畿大会に進み…を目標に長男がコツコツやってきたことを知ってる立場としては、ちょい待てそんな番狂わせな話ある?と思ってしまうわけで、しばしモヤモヤ。

でもきっと、その状況を一番どうするかな…と気を揉んでくださっていたのは、ずっと練習を見てくださっているコーチと顧問の先生。熟考の末、3~4月にある数回の大会と記録会で、記録順で出場者を決めることになった。それぞれに思惑も背景もありすぎる状況、そんなものを鑑みてたらキリがない。純粋に記録で決めるほうが後腐れもなくていいに決まってる。そうと決まったら、もう跳ぶしかない。より高く。練習にも以前以上に力がこもってる様子だった。先輩も、長男も。

大会も記録会も目が離せなかった。4人の記録は肉薄してる。10㎝差で、その時々の大会順位が上下するほど似たり寄ったりな高さで跳躍が進む。
もはや、ライバルは他校の生徒じゃない。校内で熾烈な出場権争い、という状況が1カ月弱続いた。

思わず、ねえ、その状況で人間関係はどうなん?と長男に聞いたことがある。ちょうど最終的に出場者を決める記録会の数日前だった。
長男は、いつもの飄々とした口ぶりで「めっちゃ仲いい」と答えた。周りに驚かれるくらい仲がいいという。先輩たちも、長男をも含めても。
いがみ合ったり、口きかなかったり、何らかネガティブな反応があってもおかしくない状況なのに。どれほど高い人間性のひと達に囲まれて切磋琢磨させてもらっているのだ、と思ったら、母としちゃもう十分だと、このとき思った。
そして、一緒に応援してる先輩方のお母さんを思い出したら、さもありなんと思った。誰が跳べても、誰が跳べなくとも、我が子と同じだけ喜び悔しがる、あのお母さん達の息子さんだもの、そりゃそうか、と。そんなお母さん達とご縁を繋げてくれた息子たち、本当にありがとう、もうそのご縁だけでわたし幸福感でお腹いっぱいだわ、と思ったら大会へと向かう足取りがずいぶん軽くなった。

でもやっぱり本人としては絶対に負けたくなかったんだよね。
最後のチャンス、これが跳べれば、というところで皮肉にもバーは彼の上に落ちてきた。逆に先輩は、前日まで「突込み病」という、助走するも跳べない、棒高跳特有のスランプに陥って全然跳べなくなっていたのに、本番では自己ベストを更新してきた。3年生最後の意地を見せつけられたような気がするその跳躍に、アッパレという言葉しか浮かばなかった。

思い通りの結果が出せなかった長男は、テントの下で三角座りし、大きな肩を震わせて泣いていた。彼が泣く姿を見たのは、いつ以来だろう。観客席からその震える背中を見てわたしはぼんやりそんなことを思ってた。きっと小学校1年生くらいじゃないかな、あのときは職場復帰前で、ママともっと一緒に居たい、って泣いてたんだよね。とか、ぜんぜん関係ないこと思い出してた。

でも、今の涙は全然質が違う。自分がやりたいことを突き詰めていって、思い通りにならなかったことへの悔しさで、そんな風に泣けるほど一生懸命なものに出逢えて、それを一緒に頑張れるメンバーに恵まれて、応援してくれるコーチに支えられて、なんと有難い環境に居るのよ、あなたは。そう思ったら、わたしも涙が出てきた。跳べますように、と毎度観客席で祈ってくれる女子メンバーや後輩、彼の跳躍が失敗したあと、明らかに動揺している先輩たちの気持ちが有難くて、涙がぽろぽろ出て止まらなかった。

冬期の頑張りも、彼が行きたい場所も知ってる立場としては、本当に残念。だけど同時に、きっとこの結果は彼に必要なことだったんだと思う。
まだ「次」がある彼には、次により高みを目指すためには必要な神さまからのギフトなんだと、思った。悪戯じゃ、なく。


これまでの努力を見守ってくれていたコーチに2日間の特別休暇をもらった長男、家に籠るのを半ば強引に連れ出して一緒にハンバーガーを齧りながら、人生には意味のあることしか起こらない、今回起こったことも間違いなく次に繋がるために起こっているし、あなたはツイてるから絶対大丈夫。ということだけ、伝えた。
思春期男子に響いたかは、分からない。でも、今後人生詰んだときに少しでも記憶に残ってるといいなと、母としては思う。

そうして、今日がいよいよ、その府下大会。
息子は出場しなくとも、母は先輩方の雄姿を見に行かせてもらう。

ここ数日、疲れなのか一度吹っ切れたはずの悔しさがぶり返したのか、口数少ない長男、昨晩久しぶりに口を開いたと思ったら
「2年2か月ずっとやってきたことが、これで終わると思うのって、どんな気持ちなんだろな」と、呟いた。

どうなんだろうね。
それは、そんなに熱い気持ちで何かに取り組んだことのないわたしには想像できない。正直、そんな疑問すら湧かなかったわたしは、やってるからこそ出るその言葉に、ずしんと殴られた気分だった。

どうかどうか、皆んな自分のいちばんが出せますように。
順位が求められる世界なことは重々承知、でもそれ以前に、それぞれが自分にとっていちばん納得する結果を手にすることができるといい。

今はただただ、それを願っています。

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