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深い反省と迷い

やりたいことがとっちらかり、全て中途半端になっている。

素晴らしい動画編集のスキルを教えて下さる講師の方がいるインターンにせっかく参加しているのに、自分が院生で時間がないことを言い訳に、関わるのを遠ざけた。

結果提出課題ぎりぎりになって、自分が身構えていたほど何を聞いてもよかった環境だった。本当に恵まれた環境なのに、なぜもっと生かそうとしなかったのだろう。

そろそろ後悔しないために、後回しはやめようとまた同じことを思った。そんなに何かを犠牲にして後悔を残してまでも、ギリギリに作り上げる達成感を味わいたいのか。


研究、就活、人間関係、趣味、全て高い基準を自分の中で設けているから、余裕もない。狂う。趣味が悪いわけじゃない。趣味にも、他人と同じようにただ消費するだけではいけないと、ストイックに向き合っているからこそ時間が足りない。

結果、研究もインターンも妥協をし、今何にも満足できず、常に苦しみを抱えている状態が続いているのだ。


あと、上に挙げた四つの中で自分の中で優先順位が最も高いのが、人間関係なのも、予想外に時間が取れない原因の一つなのだろう。


私は、人に優先度を基本つけることができない。

これは中学の時にあったイジめの経験が尾を引いているからだ。

自分が仲間外れにされて365日ぐらいは死にたいと思った経験から、誰も仲間外れにしたくないという意志のもと、人を拒まず、平等に接しようという信念がある。

家族、親友と言える関係以外の方からの頼みは基本全部受けてしまうのだ。それが、人間関係構築のために必要だと思っている節がある。


どう考えても、Twitterで、専門でもなんでもないインドネシアの史実解説します!は今の私の時間の中から生み出す労力はあるわけない。キャパオーバーなのにだ。それでも、中学の頃から尊敬された絵師に頼まれて断れるはずがなかった。いくら尊敬しているとはいえ、お互い素性も本名も住んでいる場所も特定できやしない、アカウントを消してしまえば消えてしまう関係性なのに、尽くそうと真っ先に思ってしまう。


心理学の先生は、「最初から、自分のキャパはこうだから、できないといった方が親切じゃない?」と言ったが、まさにその通りで、最近真っ先に引き受ける前に、自分の実情を相手に話すことが第一の誠意だと気づかされた。先に断るのか、後に断るのか、どう考えても無理な状況では先に断るのが誠意に決まってる。


平気で自分の持つ一日の時間を36時間だと思う癖はあるので、自分ができると思っている3分の2しか時間しか現実にないと常に思った方がいい。

その上で、さらに思うようにいかないから、2時間分は予想している活動時間から引く。

その時間からできることを逆算して、すいません私には無理ですと伝える力。

これが等身大の自分を認める力なのだと、今、気づかされた。

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