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エドワー ド・ ボンドの演劇教育 一『戦争戯曲集解説』から考える問いを生み出すための演劇 高尾 隆 論文の読書会

月に1回ベイビーシアターに興味のある方々で集まり、「ベイビーシアター研究会」を開催しています。
2月のベイビーシアター研究会では、高尾 隆さんのエドワード・ボンド論文を読む読書会を開催しました。

■2021年2月の研究会
BEBERICA主宰の弓井さんがベイビーシアターを始めたきっかけとなった、エドワード・ボンドの演劇教育観について書いた高尾隆氏の論文を取り上げました。
読書会で扱った部分と弓井さんからの解説、その後のディスカッションを紹介しています。

エドワー ド・ ボンドとは?
:イギリスの劇作家、演劇教育に晩年傾倒。
労働者の出で、社会主義を標榜。ブレヒトの影響を受け古風なリアリズムを否定、衝撃的な題材で保守的な観客に批判されながらも、現代文明の歪みを描く。


「戦争戯曲集」とは?
:エドワー ド・ ボンドが、広島の原爆投下や、東西冷戦で受けた衝撃から戦争三部として制作。戦争の本質、人間の本質を描く。上演時間は三部作を全て演じると8時間(!)
ロイヤルシェイクスピアカンパニーによって戦争戯曲集が上演されてきた。
書籍化されているが英語のみ。全体のうち半分の割合を占める「解説(コメンタリー)」がとても面白いです。

戯曲の部分だけ日本語訳で出版されています。

おすすめです↓ 演劇教育に関わる人ならみなさん読むべき。
Edward Bond and the Dramatic Child
Plays for Young People

座高円寺で「劇場創造アカデミー」題材として長年演じられてきました。


まずは、ボンドがパレルモ大学で実際に行った「パレルモインプロ」のコメンタリーを読み、ボンドの提唱する「ラディカル・イノセンス」の概念に触れてみます。

「パレルモインプロ(即興)」とは?
:ボンドがイタリアのパレルモ大学で授業を持った際に行った即興劇。参加する学生たちに、即興で兵士のロールプレイをさせた。

設定) 兵士が、口減らしのために故郷に戻って赤ん坊をひとり殺してくるように命令される。 故郷に戻ると、自分の母親の赤ん坊と、近所の赤ん坊の二人がいた。そのどちらを殺すのか。

即興に参加した20人近くの学生のほとんどが、自分の母親の赤ん坊を殺すことを選んだ。誰一人として「正しい」赤ん坊を殺すことはできなかった。

合理的に考えれば、隣の家の赤ん坊を殺すと考えていたボンドにとって衝撃だった。「「正しい」赤ん坊」とはここでは隣の家の赤ん坊を指す。
ボンドは、舞台上だけの出来事だけではなく、ナチスで同じような事例があったと紹介し、ロシアにあったナチスの捕虜収容所での捕虜殺人を例に出す。

ナチスでの事例を含め、極限状態の彼らの選択は合理性を持たない方を選択した。
この一見非合理な選択の事例に対し、ボンドは、「人間という名を喜んで捨てられる者はどこにもいない。私たちが人間になるためには「大いなる教養」が必要とされるが、また私たちが獣になるためにはそれ以上の教育が必要とされるのだ。」と締める。



【ナチス政策から「ラディカル・イノセンス」までの成り立ち、
ボンドによる解説】

ナチスが台頭したのはヒトラーを市民が選んだからだ。なぜ市民は選んだのか? ヒトラーは「演劇」を効果的に使った。大衆を集めてみんなに演説し、効果的な音楽をかけ、共通体験をさせて気持ちを盛り上がらせみんな泣いてスッキリ!観客にカタルシスを起こさせるものとして定義したアリストテレス的手法を用いた。

↑ 否定

ベルトルト・ブレヒト / ドイツの劇作家、詩人、演出家。
役への感情移入を基礎とする従来の演劇を否定し、出来事を客観的・批判的に見ることを観客に促す。(wikiより)
みんなが何も考えず感情に乗ったから指示して国のトップになってしまった。もっと知性を持つべき。異化効果の方法を用いる。
「ブレヒトの教育劇」1956年にブレヒト没

↑ さらに否定 ボンド『頭で考えることが世界を良くすることか?』

ラディカル・イノセンスを提唱。
あかちゃんや子どもが持つ根源的な判断や思考=ラディカル・イノセンスが、世界を読み解く手立てになるのでは。と考える。

【ディスカッション】
ラディカル・イノセンスはどこにあるのか?

青木さん:ラディカル・イノセンスは、最近考えていることと同じという気がした。縛りがかかっていくものに対してどう解放するか。
しかし、「人間」というものをどうとらえているかがわからない。

弓井さん(BEBERICA主宰):ボンドは人間に期待している。しかし、人間は社会に作られた存在になる。教育批判もしている。ラディカルイノセンスは社会によって堕落させられてしまうものではある。
家で娘に注意をするとき、それは社会的規範から注意を促すが、それに対して娘は「いや」と言う。その「いや」の中にラディカルイノセンスがあるのではないかと捉えている。

青木さん:ベイビーシアターで実現していることってこういうことですよね。これやん!て思って。

弓井さん:めっちゃ影響受けてますね。
ベイビーシアターで起こそうとしているものがシアターイベントの定義そのものですね。この中でのポイントは、ボンドはブレヒトやストレートプレイやミュージカルを案に否定している。

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エドワード・ボンド「戦争戯曲集」より
大いなる平和
座高円寺・劇場創造アカデミー5期生 修了上演


「戦争戯曲(第一部)」の内容抜粋
:主役は原爆によって生まれることができなかった魂が主役。もし私が生まれていたら、「こういう風になっていた」という何者かを演じます。

●学習チャプター
学校の一場面、カリカチュアさせて描いている。逆に理解ができる。

●セールスマンチャプター
その子を買いに来る章。子どもに教育を受けさせることで社会的な価値付け=買い付け価格の向上を図る様子を示す。

●軍隊チャプター
そして結果は軍隊に買われる。手も足もなにもかも思考も軍隊に買われる。ここからパレルモインプロに繋がる。

【ディスカッション(抜粋)】
ベイビーシアターとラディカル・イノセンス
弓井さん:感覚と感情は違うので、一緒に捉えてはいけない。脳の別の部分が働く、感覚に紐づいて感情が喚起させることはあれど。

青木さん:それは誰もが知った方がいい。そうすると知った方が良いこともある。感覚にタッチすることで感情をコントロールすることができる。

青木さん:子どもが持つ「分かる分からない」の未分化。怒りなのか喜びなのか、まだ分類されていない。それは後から周りの人からの声掛けによって「きもちいいね、楽しいね、美味しいね」と結びついていく。

弓井さん:整理がつくという良い面もあるけど、怒りとなったときに、あまり社会の中に出してはいけないものだとわかると出しづらいものがある。カテゴライズを自分の中でしてしまい、ラディカル・イノセンスの摘み取りが始まる。

青木さん:あまり単純にせずに捉える方が良いと感じた。

弓井さん:言葉は物事を定義づけていく。定義すると零れ落ちるものが絶対的にある、それはボンドは無意識と言っているかもしれない。
記憶は自分でつくる。事実はそこになく、自分がどう捉えるかということになる。それは自分で演じてみることでアプローチできるし、ポジティブに捉えることもできる。

弓井さん:ボンドから影響を受けていて、これ読んで、ラディカル・イノセンスを持ってる存在は何か? と考えたときに、それはあかちゃんだと思った。そこからベイビーシアターの活動を始めたというところがある。

青木さん:そこ(ラディカル・イノセンス)を取り戻したい人は増えているという気がする。

弓井さん:感覚的にわかってると感じるところはある。

青木さん:過去は変えられないと言うけどそうではない、過去の意味を捉え直すことで変わる。

弓井さん:それって演劇だと思う。演劇にしかできないと思う。とても本質的。

青木さん:ある部分、演劇は現実社会と近しいものを扱える。でも現実ではないものにできるところがある。


今回↑に登場したのは、ベイビーシアター研究会の青木さんと弓井さん。

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青木 敦子:2016年まで公立文化施設での文化事業企画運営の仕事。最近はこどもの育ちをアート/表現活動でサポートする活動やこども園での保育補助など。
弓井 茉那:Director of BEBERICA theatre company(Baby Theatre) 0-3歳のあかちゃんのための演劇「ベイビーシアター」のプロデュースと演出。


文、編集:細貝由衣



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