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#5.知らないということは時として武器になる。かも

”知らない”って、場合によっては武器になるんじゃないか?という話。

妻と子育てについて話している時に、ふと思ったことがそのままタイトルになっています。

親になって、実際に子育てをして思うこと、それは

①疲れていない時、子どもとのやりとりはとても楽しい
②疲れている時、子どもとのやりとりは何よりも辛いw

「適当なやり取りは、重ねるだけむしろマイナス」という主旨の話を聞いたこともありますし、ちゃんと応えてあげるとその分目に見えて成長してくれるので、やっぱり気持ち良いんですよね。なによりもやっぱり我が子はかわいいですし。だから、子どもが一生懸命話しかけてくれている時は「ちゃんと応えてあげたいな」と思っています。

子どもと一緒に過ごす時間は、めちゃくちゃ楽しいんですよ。これは本当。

ただ、「勉強時間が欲しいな」「もう少しゆっくりお風呂に入りたいな」とか、「少し体がだるいな」「もう少し寝たいな」みたいに、”精神的・肉体的に満たされていない時”=”疲れていて余裕がない時”に子どもと関わるのはやっぱり難しい。

楽しいし、やっぱり幸せを感じる瞬間も多いけど、自分の時間や妻・友人との時間といったものとのバランスが崩れると苦しくなってしまうという感覚もあります。


子育てを始めてそんなことを感じているのですが、

カフェや街中で、まだお子さんがいない(と思われる)方が「子ども好きだから、将来は子ども欲しいんだよね!」と言っているのを聞くと「そんな簡単じゃないぞ~」と思う反面、「そのくらいの方がちょうどいいよ~」と思ったりします。

というのも、子育てし始めて直面する”現実”の肌感覚を先に知っていたら、自分はどのような決断をしただろうか?と考えると、即答できない自分がいるからです。

語弊の無いように強調しますが、子どもがいて幸せですし、子どもが出来たからこそ見えてきた世界やチャレンジしたいことがあって、間違いなく子育てをしてよかったです。

ここでは、その決断のハードル=覚悟の重さがまるで違ったのではないか?ということに言及しています。

つまり、知らないからこそ希望をもって思い切った決断が出来て、子育てが始まったら始まったで、もがきながら何とか進めているっていうのは、現実を知らなかったからこそ出来た(良い)選択なんだなと思うのです。

ビジネスの世界でも「知りすぎることはむしろマイナスを招く」とか「アウトサイダーだったからこそできることがある」という話もありますし、知らない方が思い切った決断が出来て、むしろ良いというのは私生活においても当てはまる (ケースもある) んだなと思った、そんな話。

皆さんは、「今思うと良く思い切って決断出来たなぁ、昔の自分。」「あの時、決断してよかったなぁ」と思うようなことはありますか?

今日は以上です。

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