学問での思考というのは少し妥協も必要かなと感じた


「1+1が2になるのはなぜ?」

「りんごってなんでりんごっていうの?」

「聖徳太子って本当にいたの?いなかったんじゃないの?」

と、疑問に思うことがたくさんあった?
正直、それを本当に突き詰めようとするときりがない。

私は、大学時代にプログラミングが全然わからなかった。
プログラミングの最初に覚える
printfというコマンドがあるのだが、

printf(あいうえお);

と書くと、パソコンの画面に「あいうえお」と表示される。

たしかに、printfは画面に文字を表示されるコマンドなんだ!と思えば、
そこから次のステージに行けばいいのだが、
当時は、printfを書いたら、なぜ文字が出力されるのか?というところに
思考がいってしまい、理解が出来なかった。
そのことを教授にメールで質問をしたところ返信がなかった。
教授も分からなかった。

何もかも分からないことが続き、
なぜ、文字は文字っていうの?
なぜ、「あ」は「あ」っていうの?とか
今まで、当たり前に使ってたことに対して、疑問を感じてしまい
訳がわからなくなった。
次第には、文字を読んでいても、本の文字がバラバラ崩れる現象
ゲシュタルト崩壊も経験した。
これはまずいと思い、私は大学を休学した。

確かに、考えるというのは大事なことかもしれないけど
限度があると感じた。

だから、思うのは勉強が出来ないっていうのは
学問に対して、色んな角度で見ているんじゃないかと思う。

だから、教えている人はなんで出来ないの!?とかって
言ってほしくはない。
確かに、教えている人はストレスを感じてるかもしれない。
だけど、やってる本人は真剣だもの。








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