見出し画像

母の帽子

何回目かの宣言の後、年末にようやく着手した実家6畳間の断捨離。足の踏み場もない、いわゆる開かずの間。予想通り、空箱や紙袋のストック、古新聞をゴミ袋に入れただけで床が少し見えてきた。大量のメモ、手紙の下書きはもうここにあることに気付いていないから黙って捨てる。ポリウレタンが飛び散る朽ちたアイロン台。まだ途中だが掃除機をかける。当然私のジャージも埃だらけである。しかも、なんだか痒みも出てきた。だが、そんなことは気にしていられない。なぜなら、今日の私はブルドーザー。40Lの透明ゴミ袋は30を超えた。

床の上を片付け、ようやくタンスの上へ目を転じる。『冬帽子』と書かれた古い丸い箱が。いつも箱を開ける時はドキドキする。虫が大量に出てきたりはしないかと。そこには、丁寧に薄紙に包まれた、ピンクベージュのカメリア付きのトークハットがあった。私の心が、とくん、と鳴った。

はっきり言って、私にこの手の帽子は全く似合わない。似合う服も持っていない。母がこの帽子をかぶっている姿も思い出せない。でも、こういう帽子が好きなのが、まさしく母なのだ。だから、欲しいと思った。

母に欲しいと伝えたら、びっくりした後『これは値打ちものなのよ』と言っていた。いつも母はそう言う。メルカリでは売らない、と約束して無事私のものとなった。

でも、びっくりしたのは自分自身。今実家にある不要なものは全て排除して、シンプルに安全に暮らして欲しいと思い、冷徹なブルドーザー化していたのに、捨てられないものがあったのかと。ブルドーザーに宿るノスタルジー、危険だ。それもまた、悪くはないけれど。

#コラム #断捨離 #母のこと #古い帽子 #実家問題 #介護

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?