熟柿 JYUKUSHI

子どもの頃、柿はカタイうちに食べるのこそ、美味しいと思っていました。
曽祖母が、ズクズクに熟した柿を好んで食べるのが、どうにも理解出来ず、その様子を怪訝そうに見ていた記憶があります。

なんで、そんなズクズクのを食べるの?
それのどこが美味しいの?

思えば、一事が万事、「なんで? どうして?」と見ている子どもだったなと思います。これはどうも性分で、今でも、何日も、何ヶ月も、何年も、頭に置いて眺めていることがあります。苦ではないのです、全然。

「そういうことか!」「わかる!」「わかった!」

それは一瞬燃え上がるようにキラめいてあとはサッパリと消えていきます。

画像2

すっかり熟してしまった柿を、台所で立ち食いしました。ここ数年は、結構この食べ方が(行儀悪いですが)気に入って、台所でむしゃむしゃします。なぜ子どもの頃、嫌だったのかもわかりました。手指がベタベタになることが生理的に嫌だったし、祖母が全てにおいて「汚れる」ことが嫌いだったんです。汚すと、すんごくおっかないんです、うちの祖母(苦笑)。

だから、今も台所で、すぐに手が洗えるように、そしてポトポト果汁が落ちても平気なところで食べています。

でも、それだけじゃないのも、わかるんです。子どもの私には、歯のなくなったぶよぶよ(に子どもには見える)唇で、熟柿に吸い付く様子が、どうしても「わからなかった」。

曽祖母のそばで、何かしていることが好きでした。なんでもない会話・・・髪の毛は誰に切ってもらったとか、学校はどうやとか、一緒にひらがなを書いたり、何か歌ってみせよとか結構無茶振りもあるのですが、ピンクレディなどを歌ってみせると喜ぶので、ますます調子に乗って歌い、曽祖母の演歌を聴くとか。「なんでもない時間」なのですが、その当時も今も、美醜でいうなら「美」の時間でした。

熟柿の時間は、子どもの私には、もうあの姿は、童話に出てくる魔女のようにしか見えなかったのかもしれません。ごめんね、ばあちゃん。怖かったんです、あの図が。美醜でいうなら「醜」。あれが私の未知なる「老い」というもの(名前はまだ知らない)を感じた場面だったのかもしれません。

世界は1つの面で出来ていないということを知る入り口だったのかな。

画像3

↑ ジュクジュク熟柿とピチピチの蜜柑は、まるで曽祖母とわたし。

熟柿の、ジュースに近づくその甘さたるや至極美味。曽祖母のしゃぶりつく顔が思い浮かび「わかるわかる」と思うと同時に、横で「うわぁ」と怪訝な顔をしている子どもの私には、ちょっと耳打ちしたくなりました。

「いつかこの美味しさがわかる日が来るからね、そして、その時は台所で食べたらいいんだから」と。


画像1

【text by REIKO from Japan】

佐藤礼子 山間地の昔ながらの暮らしが残る環境で高校までを過ごす。高校時代の愛読書は『留学ジャーナル』と『Hi-Fashion』。短大で村田しのぶと出会い、物心両面で彼女と彼女の家族に支えられる。「ここなら合うと思う」と村田が持ってきた会社案内で就職先を決める。そこで宮本ちか子と出会う。彼女はネパールへ。私も結婚・出産を経てフリーランスライターに。その後、人生のサポートになる「タマラ」というエネルギーを知り、その哲学を知り、ライター業と兼務で創始者秘書に。タマラが縁でハワイ島で成田水奈と出会う。その後、宮本ちか子もタマラに参加。そして、約20年ぶりに村田しのぶと再会し、2018年「Beautiful planet」を立ち上げる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?