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「マイノリティ」との向き合い方
こんにちは。きもの文化研究生のエイミーです。
先日母の日を前に、ジェンダー問題について感じたことを記事にしました。
その際にふと、私たちの中に多かれ少なかれ「マイノリティ」な部分が必ずあるよな・・と思ったことから、今日はそこから派生した考えを。
大学時代の思い出・・
私は大学生時代、名古屋にある大学に入学しました。
名古屋という地域の特性なのか、地理上の関係からなのか、同級生はほとんどが東海地方出身で、たまに関西から、その他の地域は片手で数えられるぐらい。そんなクラス構成でした。
私は福島県出身。同じ東北出身の子はおらず、いわば「マイノリティ」な存在。だからと言って、いじめを受けたり、嫌がらせを経験したわけではありません。
でも罪なき一言をかけられたことはあります。
例えばこんなこと。
「ちょっと東北弁しゃべってみて。~(訛ってみて。ということも)」
歩くのが嫌いじゃないと話した時は、
「やっぱり田舎の人は、隣の家まですごい距離があるから、歩けちゃうんだね。」
「コンビニとか珍しい?」
「福島県?東北はよくわからなくて、福井県と福岡県とよくかぶっちゃう」
・・・いずれも、私を傷つけようとして放った言葉ではないこと、何も考えずに出た一言だということは分かっています。
けれども、私に敬意を表して言った言葉でないことも、感じていました。どこか言葉の最後には「笑」が含まれていたから。
もちろん私の思い過ごしもあるでしょうし、自意識過剰と言われればそれまでで、それこそ「何も考えていない」言葉だからこそ、こちらも何も気にすることはないと今は思うのです。言った本人は覚えてもいないでしょう。
でも少なからず、私は不快な感情を抱きました。(だから最初の五月のゴールデンウィークは名古屋や周りの地域で遊ぶことなく、即座に帰省しました。)
どんな人の中にもある「マイノリティ」
ここで訴えたいのは、「私は名古屋で不快な思いをした!」とかそんなことではなく、こういうことって日常であり得ることだと思うのです。
みなさんも「マイノリティ」な経験したことがあるのではないでしょうか。
日本人だったら、海外に行った場合、人種という意味でマイノリティになるし、女性だったら、男性社会にいえば、性別という意味でマイノリティになる。多数決の中で、黒と言う人が8割だったら、残り2割の白と言う意見を持つマイノリティになる。
どんな人も「マイノリティ」になり得るということ。
そこで大事なことは、
自分がマイノリティになったとき、どんな感情を抱いたか覚えておく。ということです。
悔しさ、恐怖、怒り、恥ずかしさ、悲しさ、絶望、もしかしたら逆に誇りを持つこともあるかもしれません。
その上で、どう向き合うのか
その感情を覚えておいた上で、マジョリティな立場に立ったとき。みなさんは、どう行動しますか?
マイノリティな方と全く同じ気持ちは抱けなくても、どんな感情を抱いているか想像は出来るはず。
例えば対・少数意見を持つ人であれば、その意見に賛同できなくとも、その意見に至った経緯や気持ちを聴いてみようと、寄り添う姿勢を持つことは出来るはず。
そして「罪なき」一言に気をつけることも。
名古屋での経験を経て、私も地元で自分より地方出身の同級生をからかったことがあったなぁ・・と思い出し、反省しました。この時も「傷つけよう」とは思っていませんでした。差別している自覚もなく。でも結果的には名古屋で私が感じたように、相手を傷つけたかもしれません(ジェンダー問題にしろ、何にしろ、色々な場面で加害者になっていた自分に残念な気持ちになる)
「人の振り見て我が振り直せ」とはまさにこのこと、ですね。
マイノリティな立場で感じたマイナスな感情は、自身がマジョリティな立場に立った時、マイノリティな方に出来る限り寄り添うことで、浄化させていく。そんな風に考えています。
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