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A piece of rum raisin 第11話 シンガポール(1)

第10話では、ノーマンと絵美の母親、洋子、明彦が絵美のアパートメントに向かう場面で終わった。絵美の部屋でいろいろなものを発見するのだが、整理するために時間をもらって、Volume 06、08、11や調書を読み返さないといけない。その間、この物語の常として、話は二年後の洋子と明彦の話に飛ぶ。悲しい話だ。
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第 11 話 第二ユニバース:シンガポール(1)
1987年7月2日(火)
1987年、私が海外に出て2年経って、突然、洋子がシンガポールで会いましょうと言ってきたことがある。その頃、私はスリランカ勤務だったのだが、なにかと理由をつけて、シンガポールに有給休暇を取ってでかけた。

あの頃のシンガポールは、発展の端緒の頃で、高層ビルだってそれほどなかった。会社がラッフルズシティーの工事をやったので、私は洋子のためにウェスティンを予約した。あの頃は不況だったから驚くほど宿泊費が安かったのを覚えている。彼女はモンペリエからやってきた。わざわざ私に会うために。

1987年のシンガポールは、ラッフルズシティーにはメインビル、ウェスティンスタンフォードとウェスティンプラザのホテルが2つあるだけで、正面は広大なサッカー場になっていた。今は名前が変わって『スイソテル・ザ・スタンフォード』になっているようだ。

サッカー場とホテルの間に、野外のホッカーセンターがあって、サテイ(マレー風焼き鳥)屋などがあった。シンガポールは不況の真っ最中で、1シンガポールドルが確か100円だったが、ホテルはスイートでも2万円で泊まれたと思う。会社の割引で、それも1万5千円になった。だから、スイート2つ(でも、もうひとつは使わなかったな)でも3万円。安いものだった。いまは普通のツインの部屋ですら1泊5~10万円だ。

何の話だっけ?そうそう、あのとき、最後に洋子と別れてから、2年経っていただろうか?

洋子は、30代前半だったが、初めてあった1978年の頃とまったく変わらなかった。彼女は時間から忘れ去られていたのだろう。

絵美が殺されてからもあと、洋子は何度も電話をかけてきて、私をなぐさめてくれた。しかし、それは戦友としての彼女であって、私たちがどうにかなる、という話でもない。

私は、ウェスティンの1階のバーで彼女を待っていた。

「明彦、待ったかな?」と、洋子が私の肩を後ろから叩いて言った。不意打ちだ。

私が振り向くと、日本で会っていたときと全く変わらない洋子がいた。リネンの上下、白のオックスフォードシャツ、青筋の入ったストローハットを目深にかぶっている。「明彦、変わらないじゃない?」と、洋子が言う。私は、なにを言っていいのかわからなかったので、洋子を抱きしめた。

「あらあら、時間差も何も無視して抱きしめるんだ?明彦は?」と、私に抱かれながら肩ごしに洋子は言った。
「え?」
「バカね。普通は、2年も会っていない女を何も言わず抱きしめるなんてしないわよ?」
「あ、ゴメン」と、洋子を離す。
「明彦らしいわね。でも、大丈夫、私は私のままよ。昔と同じだわ。さ、行こうか?」彼女は私の両肘をつかんで、私の顔をしげしげと見つめた。
「洋子、どこに行くの?」
「決まっているじゃない?上よ。私、こういうごみごみした場所は苦手なの。さ、私の部屋に行こう?シンガポールの景色を堪能して、シンガポールスリングを頼んで、シュリンプカクテルを食べるのよ、昔みたいに」
昔と同じだ。サッサと私に腕を絡めて、引っ張っていく。
「洋子、ちょっとお待ち」
「え?何?」
「昔とちょっと違うんだ。私も多少は大人になったんだから、洋子のペースじゃなくて、私のペースでもやらせてくださいよ」
「あら?」
「冬瓜のスープなどいかがかな?オーチャードに予約してあるんだ。個室だよ」
「あら、そう?なら、任せる」
「アハハ、よかった。じゃあ、行こう。でも、その前に?」
「その前に?」
「もう一回、抱きしめていい?持ち上げて、振り回していいかな?」
「バカみたい」
「いいじゃないか?洋子。久しぶりなんだから。フランスからわざわざ来てくれたんだから。私はうれしいんだよ」
「じゃあ、やってよ」

私は、彼女を抱き上げて、グルグルと振り回した。周囲のみんなが驚いてみていた。私たちはタクシーを拾って、オーチャードのレイ・ガーデンに行った。個室だから、洋子とじっくり話ができる。

「ねえ、私の部屋、いいロケーションを取ってくれたじゃない?サッカー場が丸見えよ。明彦はどこに泊まっているの?」
「ん?」と、私は冬瓜スープが熱くてちょっとむせた。「熱い!おお、熱かった」
「バカねえ、あせって食べるからよ」
「おいしいんですけどねえ、冬瓜の実が豆腐みたいで、表面が冷めていても、中が熱いんですよ。え~っと?私の泊まっているところ?」
「そうよ。どこなの?」
「洋子の隣」
「え?」
「洋子の隣の部屋ですよ」
「まあ!何も別の部屋にしなくてもよかったのに?」
「洋子、さっきラッフルズシティーで『2年も会っていない女を突然何も言わず抱きしめるのはバカだ!』って言いませんでしたっけ?抱きしめるだけでバカなら、『2年も会っていない女に何も断らないで同じ部屋をとる』というのは、そのバカの上をいくんじゃないですか?」
「あら?それはそうね。うれしかったけどね、そのバカに抱きしめられて」
「まったく、会った早々からバカだなんだと・・・」
「その部屋要らないでしょ?私の部屋に移ってらっしゃい」
「いやですよ、洋子、どうせ進歩していないだろうから部屋がグチャグチャになる。いや、あのね、続き部屋でしょ?だから、間に隣室につながるドアがあるじゃないですか?そこをお互いロックを外すとつなぎ部屋になるんですよ」
「なぁ~んだ。じゃあ、ベッドを2つ使っていやらしいことができるじゃない?」
「あ!2年も会っていない男に向かって、突然了承も得ないで、ベッドを2つ使っていやらしいことができる!なんて言う女もバカじゃないの?洋子?」
「あら?してくれないの?」
「もちろん、するに決まっているじゃないですか?」
「ああ、安心した。私は2年間修道院生活同様だったんですからね」
「え?向こうではなにもせず?」
「明彦みたいに私の体を熟知している男が世界中でどこにいるというの?しょうがないから、自分で自分を慰めていたわよ」
「また、刺激の強いことを」
「後で、部屋で見せてあげるわね、フフフ・・・」
「フフフって、大学の助教授ともあろう30代前半の淑女が、そんな刺激の強いことを中華レストランの中で普通言いますか?」
「こういう話、世界中で明彦にしかできないでしょ?」
「う~ん、光栄というか、なんというか。じゃ、後でじっくり拝見いたします」
「バカ!恥ずかしいじゃない?」
「自分で言っておいて・・・」
私たちは冬瓜スープの残りに取りかかった。
「もう熱くない?」
「大丈夫ですよ」
「あら、おいしい」
「フランスで冬瓜スープなんて飲めないでしょ?」
「そうよね。毎日フランス料理というのも飽きちゃうわよ」
「この後、まだまだ魚とホタテ、北京ダック、エビ餃子、シュウマイといろいろ頼んでおきましたから。洋子、食いしん坊だから」
「あなた、私に贅肉つけて、フランスに帰すおつもり?」
「余剰なカロリーは、夜運動すれば燃焼できるでしょ?」
「まあ、いやらしい・・・」
私たちは、彼女の大学の話、私の会社の話などをした。
「明彦、ねえねえ?」
「何ですか?」
「昔、明彦は、外国語なんて習いたくもない、英語は、中学高校大学とすべて赤点でした、と言っていたじゃない?」
「そうでしたっけ?」
「そう言った!覚えている!それなのに、なにさ、今は海外赴任で、英語を使っているじゃない?」
「しょうがないんですよ。会社から赴任の打診があったし、これ幸いと日本から逃げ出すチャンスだった」
「ああ、そうねえ、あの女か。美佐子か。私、あのとき美佐子を殺してやろうと思ったわ」
「おいおい」
「まったく、私が悪いんだわ」
「そうじゃない。なるようにしかならなかっただけですよ」
「そう言ってもらえると、多少は良心の呵責もなごむわね」
「忘れましょう、あの女のことは」
「まったく、私の妹なのに、どうして・・・」
「彼女は彼女で傷ついていたし、それを隠して、いろいろと、ね?さ、忘れる、忘れる」
「いいわ、忘れましょう、あのとき起こったことは。それよりね?」
「ハイハイ?」
「今は明彦、海外赴任だし、外国語だって大丈夫なんだから、こうなったら、私と一緒にモンペリエに行って、私に養われるなんてどうなのよ?」
「また、昔の話に戻りますね?」
「なぁ~んてさ、あの頃の妄想をまだ引きずっているわけ。冗談よ」
「なんだ?私は、じゃあ、明日にでも辞表を書いて、荷物まとめて、フランス便を予約しようかな?と思ったのに・・・」
「え?ホント?」
「冗談ですよ、冗談」
「こら!そういう期待をさせるようなことを冗談で言うな!」
「ハイ、先生!」
「まあ、私たちは、こうして、たまぁ~に、世界のどこかで会うのが運命なのね。だけど、そのうち、明彦だって結婚してしまうでしょうしねえ。チクショウ!」
「お嬢様、いまだに汚い罵り言葉をたまにはかれるんですね?でも、私が結婚したら、もう会えないんですか?」
「明彦の幸福を壊したくないから」
「殊勝なことを」
「さ、次の料理はなにかなあ?」





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