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同調圧力と承認欲求

引用だけです。後で考えよう。

なぜSNSに忙殺される?
同調圧力と承認欲求強い大衆増えた日本の未来

大衆心理には人口の変動が大きな影響を与えてきました。人口が増えなくなった現代日本は、他者の目を常に意識する他者志向の強い人が多数派になっています。これらは、どんな商品やアイドルがヒットするのか、消費の傾向・流行にも影響を与えているようです。今後人口減少が進行する日本で、大衆社会の行方を占うポイントはどこにあるのでしょう。
「周りと仲良く」するためにレーダーで周りの心理を探り、「みんな」から浮かないように常に気を配る生き方は、なかなか大変そうです。今回は他人指向者の背負う、もう一つの苦労に目を向けることにしましょう。

1.オンリーワンを目指して

他人指向者の同輩集団ではお互いを「鋳型にはめ込む努力」が行われていると、リースマンは指摘しました。『孤独な群衆』は1950年代のアメリカ社会を描いた文献なのですが、読んでいると今の日本のことを書いているような錯覚を感じます。
他人指向者はこうした同調圧力を受ける一方で、自己アピールの欲求も持っています。低成長の社会は全体が成長しない分、競争の激しい社会です。入試や就活の面接など自己アピールを求められる機会は枚挙にいとまがありません。
また、後述するように他人指向者は自分に自信がない傾向があります。自信がない分、他人に認められたいという欲求は大きくなりますが、周りと全く同じでは、承認欲求は満たせません。ここでも何らかの自己アピールが必要となります。他人指向者は同調圧力を受ける一方で差異化の欲求を持つのです。
ただし、こうしたアピールによって浮いてしまう事は禁物です。以前、公園で左右の足に色違いのバンダナを巻いた高校生を見かけたことがありました。本人はお洒落のつもりだったようですが、周りの友人からは「何それ!」、「変!」とさんざんな言われようでした。
こんな風に少し変わったことをすると「変!」の一言で片付けられてしまいます。といって周りと全く同じではアピールになりません。そこで、少しだけ周りと差をつけて自己をアピールすることがベストとなります。「ナンバーワン」を目指すと浮いてしまうので「オンリーワン」が求められることになるのです。
リースマンはこうした、浮かない程度のわずかな違いを巡る競争を「限界的特殊化競争」と呼びました。少し難しい表現ですが、限られた範囲で個性を出そうとする競争のことです。学生に聞いてみると定番の装いにワンポイントのアクセサリーをつけたり、メジャーアーティストのマイナーな曲を歌ったりするのがセンスがよいみたいですね。
ただ、浮かない程度のアピールはなかなか難易度が高いです。どの程度なら許容範囲で、どこまでやると変になるのか、オフサイドラインギリギリを見極めないといけません。半歩先を行くには、どこが半歩で、どこからが勇み足になるのか、レーダーでよくよく探ることが必要になるのです。AKBや嵐などグループアイドルの人気が高いのは人気グループという枠の中で“推しメン”を変えることで、浮かないように差をつけやすいからだと考えられます。
他人指向者はこのように何を着るか、何を歌うかなど消費の場で日々繊細な競争を繰り広げています。内部指向者が主に生産の場で競争していたのとは対照的です。内部指向者は消費には無頓着で着るものも食べるものも余り気にしませんが、他人指向者にとってはそこでの違いが重要となるのです。

2.企業の競争、メディアの競争

他人指向者が多数を占める社会では企業も限界的特殊化競争をします。周りと同じ商品ではアピールできません。といって、あまり変わった商品は敬遠されてしまいます。それを買った人が「変!」と言われてしまうからです。そんなわけで企業も「ちょっとした違い」を他社と競うことになるのでした。リースマンは例えば「普通より少し長いタバコとか切り口が楕円形になったタバコとか、コルクの吸い口がついているのとか」そういったわずかの違いで競争すると述べています。「自動車や流線型列車、ホテル、大学の経営者も似たようなことをやっている」。
そんな中で、成功した商品や手法は他社に模倣されることになります。人気の有名人やタレントを使ったCMは各社で模倣されます。そうなるとそのタレントが出てくるCMが「普通」になってしまうでしょう。これでは差別化できませんので、また新しい半歩先を行く旬のタレント探しが行われることになります。そのタレントが、人気が出ると……という形でこのサイクルは際限なく繰り返されていくことになるでしょう。限界的特殊化競争は流行の移り変わりを生むのです。
このように限界的特殊化競争では「ベスト」の状態は決して固定化されてはいません。それは常に模倣によって「平凡」や「普通」になる恐れがあります。そのときには一昔前は「変」だったものがセンスのいい「ベスト」になるかもしれません。そしてかつては「普通」であったものは「時代遅れ」になってしまいます。こうして「ベスト」も「普通」も「変」も常に移り変わっていくのです。
他人指向者はこうした移り変わりの中で「半歩先」を巡る競争を繰り広げています。何が今の「旬」で、何が「変」で、何をすると「時代遅れ」なのか。リースマンの時代には雑誌がこれらの情報を教えてくれるメディアでした。色鮮やかなグラビアや広告を満載した雑誌が流行の先端を教えてくれるとともに、さまざまな失敗談を通じて時代のNGも伝えていたものです。
1970年代以降はテレビがこの役割を果たすようになります。テレビ局自体が視聴率競争という限界的特殊化競争をしながら、他人指向者のニーズに応える番組を競って制作するようになるのです。2010年ごろまでは他人指向傾向とテレビの視聴時間には、はっきりした正の相関がありました。他人指向者はテレビから流行情報を仕入れていたのです。
現在はその役割がTwitterやInstagramのようなSNSに移りつつあります。刻々と変化するタイムラインには「旬」のワードが次々に表示され、時にはバズを起こし、そして忘れられていきます。インターネットは限界的特殊化競争の加速装置の役割を果たしているといえるでしょう。こうして他人指向社会では人も企業もメディアも限界的特殊化競争に忙殺されていくことになるのです。

3.大衆社会の行方

他人指向は「周りと仲良く」することを目指す心理傾向で、本来悪い話ではありません。それがお互いを型にはめ合う窮屈な社会を生み、タイムラインのチェックにあくせくするせわしない生き方を生んでしまっています。どうしてこうなってしまうのでしょう?
図4は2015年~2017年の授業内調査のデータ(サンプル数715人)を用いて他人指向に関連する項目を図示したものです。偏相関という方法でみかけの関連をなるべく除いてあります。これをみると、人間関係を難しいと思う人が不安を感じ、自分に自信がなく、そういう人が他人指向の傾向を持つことがわかります。不安や自信のなさを「周りと仲良く」することで埋め合わそうとしているようですね。
前に紹介した権威主義はタテの人間関係に依存して安心を得ようとする心理傾向でしたが、他人指向はヨコの人間関係に依存して不安を紛らわそうとする心理傾向と言えます。図4を見る限りでは権威主義は不安と直接には結び付いていません。今の若い人たちはタテというよりはヨコの人間関係を不安への盾としているのでしょう。
不安が他人指向の原動力だとすると、お互いを型にはめようとするのもうなずけます。周りに合わせない人は不安を感じさせます。それゆえ周りに合わせるように圧力をかけられてしまうのでしょう。またタイムラインをチェックしないと不安になるので、時間があるとスマホを覗き込んでしまいます。不安が強まると他人指向の弊害も深まると考えられます。
今後の日本社会では急速な人口減少が予想されていて、国立社会保障・人口問題研究所の中位推計では2053年には1億人を切るようです。商業化の進んだ社会では人口が減るとお客さんが減ってしまいます。多くの企業が存続の危機に直面するでしょう。こうした状況では更に不安が高まることが予想されますし、他人指向が現在よりも激しくなるかもしれません。中には海外市場に活路を見出そうとする企業も出てくると思われますが、他人指向傾向の強い従業員には海外進出は荷が重い可能性が考えられます。多くの企業は結局国内に留まることになるのではないでしょうか。
外に出て行く代わりに、外から移民を受け入れることになるかもしれません。しかし、それも不安を高める要因になり、この場合は権威主義的な反応が増すかもしれません。いずれにしても不安を軽減することができるかどうかが鍵になりそうです。権威者に従って安心したり、周りに合わせて不安を紛らわせたりするのではなく、不安そのものを減らす社会を築けるかどうか。これが大衆社会の行方を占う一つのポイントになるでしょう。

過度な承認欲求が成功を阻む、これだけの理由

世の中は、成功できる人とそうでない人にくっきり分かれてしまいます。能力的には大きな違いがないにもかかわらず、成果に差が付いてしまうのはなぜでしょうか。あまり語られていませんが、筆者は、過度な承認欲求が成功の邪魔をしていると考えています。
日本人は控えめで自己主張が苦手であるとよく言われますが、筆者はそうは思いません。もし日本人が本当に控えめなのであれば、過度な承認欲求を持つ人も少ないはずですが、現実はその反対です。
日本人が積極的に自己主張しないのは、性格が控えめなのではなく、周囲から叩かれるのを防ぐためです。では、なぜ自己主張する人や、目立っている人は周囲から叩かれるのでしょうか。それは、各人の承認欲求が強すぎるため、他人が注目を集めるのが許せないからです。つまり日本社会の同調圧力の強さや妬みの感情というのは、実は、激しい自己承認欲求の反動と考えるべきでしょう。
皆が何も意見を言わず、押し黙っていれば、自身の承認欲求を満たすことはできませんが、他人が賞賛されるという場面を見なくても済みます少々歪んだ形ですが、これが同調圧力の正体です。
ネットのコメント欄のように、面と向かって自身をさらけ出す必要がない場では、多くの日本人が凄まじいまでの自己主張を繰り広げています。ネットのコメント欄が荒れた内容になることは諸外国でもありますが、口汚く他人を罵っている人の割合は日本人の方が圧倒的に高いという印象を受けます。実際には多くの人が、激しい承認欲求を抱えていると判断して良いでしょう。
筆者は、承認欲求自体は悪いものだとは思っていません。かくいう筆者にも、当然ですが、他人から評価されたいという欲求があります。他人から評価されたいという欲求をバネに努力を重ね、それを成果の原動力とするのは決して悪いことではないでしょう。しかしながら、承認欲求が強すぎ、周囲に同調を強要するようになってしまってはやはり問題です。
仕事で成果を上げた人というのは、何がしか人とは違ったやり方を実践しているものです。周囲の人と同じような行動ばかりしていては、平均的な結果しか得られないのは明らかですから、もし自分が成功したいのであれば、成功している人からやり方を学ぶのが早道です。
成功している人というのは、精神的にも満足しているケースが多いですから、ノウハウを教えて欲しいと丁寧に頼めば意外と簡単にコツを教えてくれるものです。成功した人から、素直にやり方を学べる人は、次に成功する予備軍といってよいでしょう。
ところが自己に対する承認欲求が強すぎると、成功した人に対して妬みの感情を持ってしまい、素直に成功者から学ぶことができません。その結果、重要な情報も冷静に受け止めることができなくなります。
どれだけ妬んだところで、自分が成功するわけではありませんし、相手が失敗するわけでもありません。こんなことは誰でも分かっているはずですが、成功者を目にすると冷静になれないという人が多いのです。
過度な承認欲求は、日々の仕事の中でもかなりのマイナス要因となっています。
組織の中で営業職的な仕事に就いている人も多いと思いますが、熱意の割にモノやサービスが売れない要因のひとつとなっているのが、営業担当者の過度な承認欲求です。
営業担当者の中には、顧客のところに行って、自分の話ばかりする人が大勢います。これでは相手の状況を把握することも、満足度を高めることもできません。必要なタイミングで、商品のプッシュができませんから、営業成績も向上しないのです。
凄腕の営業担当者と呼ばれる人の中で、押しの強い人はあまりいません。むしろお客さんの話をよく聞くタイプの人が卓越した成果を上げています。あくまでトークというのは、話したがらない顧客にきっかけを与えるためのものですから、自分語りをしても意味がないのです。
筆者は会社を経営した経験があるので実感としてよく分かるのですが、営業の場における主役はお客さんであるという感覚を持つだけで、営業成績は飛躍的に向上します。そんなことは当たり前だとは思わないでください。多くの人が、その当たり前のことが実践できず、顧客の前で自分の話ばかりを繰り返しています。それだけ承認欲求に邪魔されている人は多いのです。

フランク・ロイドのエッセイ集


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