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縄文海進と古神道、神社、天皇制(6)

これはどのカテゴリーに入れればいいんでしょう?地図、マッピングだし、縄文海進と古神道だとも言えます。まあ、どちらでもいいですが。

まず、GISを紹介しましょう。GISとは、Geographic Information System、地理情報システムのことです。単なる地図とは違います。『地図』をベースとしてその上に『人』や『物』などを『図形』や『マーク』でプロットし、それらに付帯する情報(属性)を管理・分析するシステムです。

コロナのハザードマップとかも地理情報システムですね。シアトルでは、地震、津波、山火事などのSeattle Hazard Explorerがあります。ベースマップは、いろいろあります。Google Mapをベースマップにしたり、国土地理院の地図をベースマップにしたりします。常陸国一ノ宮、鹿島神宮の境内の地図を見てみましょう。

鹿島ー国土地理院 

鹿島ー国土地理院

鹿島ーArcGIS、地形図 

鹿島ーArcGIS、地形図

鹿島ーArcGIS、道路地図

鹿島ーArcGIS、道路地図

さて、この地図中に要石ってあります。かなめいし。地震を鎮めているとされる、大部分が地中に埋まった霊石です。常陸国一ノ宮、鹿島神宮だけではなくて、有名所では、千葉県香取市の下総国一ノ宮、香取神宮、三重県伊賀市の大村神社、宮城県加美町の鹿島神社にあります。

鹿島香取

鹿島神宮と香取神宮、ご近所さんですが、両神宮、創建は古く、記録はハッキリしません。鹿島神宮は神武天皇元年の紀元前660年の創建、香取神宮も神武天皇18年(紀元前643年)と伝えられています。これは伊勢神宮が垂仁天皇26年(紀元前4年)とされており、これより600年以上前です。当時の日本は卑弥呼の治世が3世紀始め、大和朝廷の成立が4世紀頃と言われていて、その前の年代などは記録がありません。平安時代の延喜式によると伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮の3社だけが神宮の称号で呼ばれており、これは江戸時代まで続いています。特別な神社です。

そして、鹿島神宮、香取神宮ともに、年代的に不確かながらも伊勢神宮よりも、創建が600年以上も古い。そして、両神宮とも要石があります。

鹿島神宮 要石 17622674

要石は地表に出ている部分はほんの少し(高さ15cm位、直径40cm位)で、地下の部分が非常に大きく、昔、水戸黄門(徳川光圀)が七日七夜掘り続けても底が見える様子がなく、さすがの光圀公もあきらめて作業を中止したといわれています。

なぜ、二つの要石は掘っても掘っても要石の底が見えないと、古代の人は知っていたんでしょうか?

鹿島神宮要石 IMG_6758 R1

それは、神社の創建は紀元前660年、643年という言い伝えですが、それよりも古くからこの神社はあったからです。そして、縄文海進のピークの6,900年前には、要石の周囲に土の堆積物など無く、むき出しの岩だったのでしょう。それを周辺住民の縄文人が祀っていた、そして、6,900年前、4,000年前、2,000年前とときが過ぎるに連れ、海面は下降していき、むき出しの岩の周囲には土の堆積物が積り、最後には(現代では)地表に出ている部分はほんの少しというほど堆積物で平坦になってしまったのです。

そうでなければ、古代人は、掘っても掘っても要石の底が見えないなどということを知ることなどできなかったでしょう。




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