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ヒンズー教と仏教の原風景

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フランク・ロイドです。CERN(セルン、欧州原子核研究機構)、KEK(高エネルギー加速器研究機構)、スーパーカミオカンデ、多元並行宇宙(マルチバース)間の記憶転移、縄文海進と古神…
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フランク・ロイドの『ヒンズー教と仏教の原風景』 INDEX

ヒンズー教と仏教の原風景 ―――――――――――――――――――――――――――― マガジン、ヒンズー教と仏教の原風景 ヒンズー教と仏教の原風景Ⅰ アーリア人とは?アーリア人のインド侵入説ってホント? ヒンズー教と仏教の原風景Ⅱ パキスタンの地形、カイバル峠とアーリア人の侵入 ヒンズー教と仏教の原風景Ⅲ ヒンズー教は仏教よりも古いのではないかって?小乗(的)大乗(的) ヒンズー教と仏教の原風景Ⅳ アーリア人のインド侵入の時期と気候、地質年代 ヒンズー教と仏教の原風景Ⅴ ヒン

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅱ

1996年11月、1997年2月、この2回にわたって、私はパキスタンの北西部、アフガニスタン国境から程近い地図にも載っていないチャシュマという村に出張した。 そこはインダス河河岸の村で、そこから流れ出るインダス河の支流に水力発電所を設置するプロジェクトであった。 最初の出張は、シンガポールからバンコック経由でパキスタン中部パンジャブ州のラホールに降り立ち、ラホールから車でチャシュマに旅するものだった。直線距離としてはたいしてない。しかし、尾根越えで道がうねっている場所が多

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅲ

表題のヒンズー教と仏教の話。 まず、ヒンズー教よりも古い仏教から書きましょう。 え?ヒンズー教は仏教よりも古いのではないかって?いえいえ、土着の原始宗教としてはヒンズー教も古いですが、宗教として体系化されたのは仏教が先です。 こんなにざっくりとしてはいけないのですが、古い順に、 1.原始アーリア人の宗教、原始ドラヴィダ人の宗教 2.原始バラモン教(顕教的、小乗的) 3.原始仏教(顕教、小乗) 4.原始ヒンズー教(密教的、大乗的) 5.インド南部仏教・ラマ教-チベット/

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅳ

地球を地質年代で見ると、冥王代、始生代、原生代とほとんど生き物などがいない頃から、古生代、中生代、新生代と巡り巡る。そして、人類の黎明期、それも文明とか有史とかいうと、この最後の新生代の中のさらに第四紀という地質年代のさらにさらに完新世と言われる時代(今から1万年ほど前から始まる)でしかありません。そして、この完新世という地質年代の中ですら、人類が文明とやら歴史とやらを作り始めたのは、完新世中期以降からということ。 地球の地質時代区分、新生代の詳細 完新世の前の更新世は、

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅵ

「親を殺した匕首(1)」と「地獄への道は善意で被われている」で「イデオロギーは人を殺す思想です。科学の発展を阻止するよりも百害あって一利なしのイデオロギーと宗教を禁止してほしい」と書きました。 この場合の「イデオロギー」「宗教」とは、集団で排他的にその集団以外を否定する概念です。極めて個人的な「イデオロギー」「宗教」を否定するものではありません。動画を見ましょうか。 福井人が送る永平寺の完全版この僧侶たちは、極めて個人的な「宗教」を信仰しています。この僧侶たちは衆生(しゅじ

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅶ

ヒンズー教と仏教の原風景 自分で読み返してみて、厳密に言うと違うな、順番、言葉の用法が間違っている、ということで訂正をしたく思います。 よく釈迦の生涯を描いた作品に「バラモン教」という言葉が出てきます。手塚治虫の『ブッダ』では、釈迦はバラモン僧のような描かれ方をしている。しかし、インドの人々やスリランカの人々に「バラモン教」のことを聞いてもキョトンとしています。 まず、日本語の「バラモン教」は「教」と表記してあたかも宗教の一派みたいに思われます。英語では「Brahmani

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅷ

今回から数回にわたり、スリランカの仏教とヒンズー教を書いてみましょう。その第一回です。 ●スリランカはおかしな国スリランカはおかしな国です。なぜ、私は『おかしな』などというのか?というと、日本語、英語の說明共に、時間線を無視して十把一絡げに多民族国家とか多宗教国家と言っていることです。 まず、在スリランカ日本大使館のサイトに、 というページが有ります。何が書いてあるか、というと、 ●スリランカを訪れる理由 - 人々 スリランカは多民族、多宗教、多文化社会であり、長年にわ

ヒンズー教と仏教の原風景Ⅸ

今日のヒンズー教と仏教の原風景は、「いい加減で知ったかぶりの民族、宗教構成」ではない、時間線に沿った民族の歴史的経緯と仏塔の薀蓄を書きましょう。次回は、「個人に憑依したヒンズーの神々を祀る村落祭祀」を。やっと、超常現象を書く手前までまいりました。私の経験談でもあります。 ●人類の移動、スリランカへの渡来 アフリカを出た現生人類はアラビア半島沿岸部を伝って現在のイラン付近に移動して、そこを起点に、インドから東南アジア、ニューギニア、オーストラリアにたどり着きました。下の地図の

ヒンズー教と仏教の原風景ⅩⅠ

南伝仏教があるなら、北伝仏教もあるだろう、と言うことで、北伝仏教のお話。 ●北伝仏教前回述べたように、スリランカの仏教は、南伝仏教と呼ばれます。北インドから南下して伝わった仏教です。ミャンマーやタイの仏教もスリランカからの南伝仏教に起因しています。これが小乗仏教、上座部仏教と言われている元祖になります。 それに対して、北伝仏教は、西北インドからシルクロードに沿って、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝わった仏教のことです。スリランカから東南アジアに伝播した南伝仏教に対す

ヒンズー教と仏教の原風景ⅩⅡ

ほとんどの仏教の伝来、伝播の年譜は、年代がリニアでないので時間ギャップがわかりません。 リニアな世紀ごとの年譜を作成いたしました。各国の年代は多少ずれていることもあります。大雑把です。 まず、インドの王朝と仏教/ヒンズー教の勢力図が左。次にスリランカの王朝、ミャンマー・タイの小乗仏教国、密教興隆のチベット、中国の王朝、右が日本です。 この画像のpdfは以下のURLからダウンロードできます。

ヒンズー教と仏教の原風景ⅩⅣ

●マガダ語の話されていた地域 仏陀やその当時の仏陀直々の弟子たちが話していたのがマガダ語。インド東北部、現在のネパールのすぐ下のビハール州あたり(地図の橙色の地域)にあったマガダ国の言葉です。今も昔もインドは中国と同じ、州が違えば、言葉が通じません。仏教興隆の元となった大旦那のマウリヤ朝のアショカ王。マウリヤ朝もマガダ国に興ったので、インド統一前は王朝の言葉もマガダ語だったんでしょう。アショーカ王が石柱や岩などに刻ませた詔勅であるアショーカ王碑文(紀元前三世紀、そこいら中に現

ヒンズー教と仏教の原風景ⅩⅤ

●お寺のグランドデザイン 仏陀入滅百年後、第二結集が終わって、悶着はあったが仏典のパーリ語編纂も一段落が着いた。祇園精舎にインド北西部から帰依してきた若い仏僧が北東部出身の先輩仏僧にたずねた。 「この祇園精舎もいいんですが、これから各地にお寺も建てないといけませんでっしゃろ?」 「まあ、そうだな」 「そうするとですな、お寺のグランドデザインちゅうか、基本設計を考えなあきませんやろ?」 「キミは洒落たことを言うねえ。うん、それで?」 「まずでんな、バラモンやヒンズーの寺院みた