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歴史を読むということ

子どもが読む伝記物を除くと、最初に読んだ歴史モノは司馬遼太郎の「龍馬がゆく」だったと思う。そこから、司馬遼太郎にはまり日本の歴史小説をよく読んでいた。その後、「ローマ人の物語」など国の歴史、「銃・病原菌・鉄」など人類の歴史、最近は、「量子革命」や「フェルマーの最終定理」など特定のテーマに関する歴史といった具合に、ずっと歴史を読み続けているような気がする。

人がどのように考え、どのような行動をし、結果どうなったかを知ることは楽しい。また、現在の我々の生活にいたる経過を理解し、これからどうなるかを想像するのに役立つ気がする。

と勉強のように読んでいる側面もあるが、私は歴史に関する本はすべてフィクションだと考えている。書いている人の意見や想像が入ることは避けられないし、歴史は「勝者の歴史」と言われるように、勝者に都合よく書かれ、本当に起こったこととは違う可能性もある。さらには、新しい遺跡の発掘や、手記の発見などで歴史はどんどん上書きされることを免れ得ない。

そう思うと、歴史は飽きることなく読み続けられる。2010年ごろ塩野七生の「ローマ人の物語」を読んだ。1300年ほど続いたローマ帝国の物語は、単行本15冊という大作だった。読了まで1年以上かかった気がする。カエサルやアウグストゥス、ティベリウス時代をピークに五賢帝時代ぐらいまでは楽しく読めた。ローマ人すごいと感心しきりだった。しかし、それ以降の分割統治やキリスト教化、そして衰退の時代は悲しい気持ちになり惰性で読んでいた。この本以降、塩野七生の本が好きになり、「わが友マキャベリ」「ギリシヤ人の物語」など、多数の作品を読んだ。

そして、今年2021年は、つれあいの勧めで、辻邦生の「背教者ユリアヌス」を読んだ。「ローマ人の物語」の中に出てきているはずのユリアヌスであるが、悲しい気持ちになっていた時代の皇帝だからか、ユリアヌスのことをほとんど覚えていなかった。ところが「背教者ユリアヌス」に出てくるユリアヌスは、大変魅力的な人物だった。哲学、文学、修辞学などへの関心が高く、為政者になる意志などなどなかった。しかし、歴史の流れで皇帝になる。流されている最中も、皇帝になってからも、その与えられた場所で出来る限りのことをするユリアヌスは好きな皇帝の一人となった。また、プラトンのいう哲人政治とはこういうものなのかなあと思った。

そうすると、哲人政治で思い出されるのはマルクス・アウレリウス。彼の「自省録」を読んでみようと思う。さらに、ユリアヌスはガリアにも遠征している。そうすると思い出されるのはカエサルの「ガリア戦記」。ユリアヌスが対峙したキリスト教の歴史も改めて興味が湧く。読みたい対象がどんどん増える。

歴史に関する読書は終わることなく、繰り返される。

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