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2.真相

身体が不調のまま○○警察署にタクシーが着いた。

受付で事情を説明して、担当の交通課を呼び出ししてもらう。

交通課「病院に運ばれたと聞いてますが大丈夫ですか?」

自分「病院から言われたので来ましたが。直ぐ帰宅させられたので、今わからない事も聞きたくて来ました。」

交通課「まぁ、とりあえず事情を聞かせてください。」

事故の詳細はこうだ。

片側三車線の一番左側にいた自分。真ん中の車線には加害者の10tトラック。

朝方で渋滞とは行かないまでも車両は多い通りだった。

自分は制限速度を守り前の車が左の建物に左折信号を出したので当然減速からの一時停止。

直後の自分の記憶が全く無い。

自分が一時停止した直後にその真ん中にいた10tトラックは目視で左に車線変更をしていたらしい。

いわゆる脇見運転。

目視をしていた際に自分の車が一時停止したのを見ておらずノーブレーキで追突。

自分の車は横転し減速した前の車に当たって止まったらしい。

加害者側の事情と自分の記憶が繋いだ全容だった。

なんと事故現場が警察署の少し前だったらしく、凄く近い場所。

と言うか、前の車に当たらずに、違う車線に出ていたら生きていない可能性もあった事故。

すぐ近くの車両工場に車を預けてあるとの事で、タクシーで見に行った。

写真があれば載せたかったくらい酷い有様だった。生きて今、此処に杖ででも立っている自分が不思議なくらい。

見せてくれた従業員さんも、こんな状況の車で良く生きてたね。と言われるくらいの有様だった。

元々格闘技をやっていたアスリートだったからかもしれない。当時身体は頑丈だった。自分を褒めてあげたい。

でも相変わらず首が痛いし、左側が上手く動かないし痺れもある。

自宅に帰って横になるべきか?でも職業訓練校にまだ連絡もしていない。

電話をして現地に向かう様に話をした。

職業訓練校は事故の場所から約1時間。具合が悪いのでタクシーの中で到着まで寄りかかって眠る。

入り口に近い所で降ろしてもらい、タクシーには待ってもらった。

その職業訓練には何故かパソコンの授業もあり、元SEには当たり前過ぎて退屈だった。何なら他の生徒に教える側だった。

そんな教室に乗り込んで、担当の先生や仲良かった生徒さん達に説明をした。

みんな凄く心配してくれたが立って生きてる事に安堵していた様子だった。

でもさすがに身体がおかしいから通えない旨を伝えて皆んなにお別れの挨拶をしてタクシーに乗って自宅に帰路した。

少し寂しさもあったので後ろ髪がひかれたが、それ以上に身体の調子がおかしかった。

To be Continue

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