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今までで一番

SNSと写真が同じになっちゃってしつこいけど、年のはじめなので年賀状写真で。

昨年言われた言葉の中でとても印象に残った言葉が2つあります。
ひとつはSNSでも書いた、本当に久しぶりに会った子から言われた「いつもみたいに話せて良かった」
これは自分の中で本当に大切にしたい言葉になりました。

もうひとつは「何人もの方にお願いしてきましたが今までで一番・・・」

ただ「今までで一番あなたの写真が好きです」とか「一番上手です」「一番凄い」「一番良かったです」といった言葉を言われても、もちろん嬉しいけれど私はどうしてもそのまま受け取る事ができません。

だって「今までで一番」というのは比較の言葉ですから、これからいくらでも塗り替わりますから。
そもそも好みの問題でもあるし、もっと上を知らないだけです。

以前にも先輩デザイナーから「岡山で一番うまいのお前?」と聞かれて即座に否定して別のカメラマンの名前を挙げました。
いつも彼の写真にはかなわないと挙げる名前もあります。
冷静に客観的に見て、自分より技術が上の人も、自分よりいい写真を撮る人もいます。
それは自分が一番良くわかっています。

若い時はもっとガツガツしてそうじゃなかったんですけどね(苦笑)
でも色々経験していいものはいいと認められるようになった今の自分の方が私はいいなと思ってます。

だから人と比べてこの瞬間一番と思われたことを誇っても仕方ないと思うのです。

でもこの時言われた「一番」は違いました。

「何人もの方にお願いしてきましたが、今までで一番ちゃんとしてくださいました。」

ちゃんと?思わず聞き返しました。
「お願いした準備はすべてしてきてくださいましたし、撮影中も丁寧に気を使っていただいていたのがわかりましたので、これはもう大丈夫と思い途中からお任せしてしまいました。今までそんな方いなかったもので。」

誰でも出来る当たり前の事を気をつけてやっただけでした。
私だから出来る特別な事ではなく、
誰でもやれば出来る事を「ちゃんと」していたと評価されたのです。
何だか帰り際にじわじわとこみ上げてきました。

いつも、ウチに勤めてくれた子に「撮った写真がウチの商品じゃないよ」と言い続けてきました。
最低限いい写真を撮ることは当たり前のことでそれでゼロベースだし、そもそも依頼された時点ではまだ写真は存在しないのだから、写真作品を売っているわけでもない。

信頼を売っていると言うと、なんだかおこがましいので
最近は「期待」と言うようにしてる。
期待されたのなら応えなきゃ。

では何を期待されてるのだろう。
「一番いい写真」を期待されてると考えるのは曖昧過ぎてそれでは期待はずれだ。
きっと「ちゃんと」してくれることを期待されてるのだろうと思う。

ただ綺麗な写真が必要なわけじゃない。
例えば「お客さんに来て欲しい」から撮影を依頼したりするわけで。
美味しそうと思ったり、行きたいと思ったり、仕組みがわかりやすかったり、好感度が高かったり、自己肯定が上がったり・・・その写真を手段としたその先が必要なのだ。

と同時に、例えば預かった商品をできる限り元通りにして戻すとか、
ファイル名をカメラのままでなく商品番号や色番号にすべてしておくとか、
その写真は印刷されるのかスマホでしか見ないのかとかアウトプットを考えるとか、真っ直ぐなものを真っ直ぐとか、色がおかしなことになってないかとか、そういった写真を撮ることに付随した色々なことをおろそかにしない事がきっと自分に期待されていることなのだろうと思う。

それこそそれで1円のプラスになることでもないけれど、
誰でも「いい写真」が撮れるこの時代に、
決してずば抜けてすごい写真が撮れるわけでもない平凡な自分を受け止めて
それでも依頼をくださる相手の期待に精一杯「ちゃんと」応えること。

改めてそう気付かされた一言でした。
勿論あとはウチが他よりリーズナブルっていう期待が大きいんだろうとは思いますが(苦笑


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