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私の不得手は、

久々にnoteを開いて愚痴とは如何なものかと思うのだけど。

『個人的に』…これは何かを人目につく所に必ずと言って良い程に記載する、それこそ個人的な序詞。
(口頭でも使用頻度は高いのだけれど)

何故そこを読み飛ばすのか。
読み飛ばしたらなら全文読み飛ばしては貰えないだろうか。

基本的にあまり『嫌い』という単語は余程の事が無ければ使わない。
『不得手』なの、得意ではないというだけ。

私が明確に『嫌い』と表現するのは『諸々の意味合いでバカは嫌いです』くらいかと。
自分を何程賢いと思っているのか、と思う方も居る事は承知しています。

誤解を招く事も。

前提として、私はそれ程利口なタイプでは無いので。
賢い方ならもう少し良い表現をなさるかな、と。
自分の場合は極端な根性論や感情論の押し付け、一時流行った○○警察…そういった方は明確に『嫌い』の範疇には居る、とだけ。


話が少々ズレたのですが。

私の『不得手』が何故どなたかを否定したり批判したりとなるのかなぁ…と。

『私』が、『個人的に』『不得手』なだけ。
特に同意も何も求めてない。
尋ねられた事に対する返答、及び意思表示。

『私』の『不得手』という感覚、それは『一個人』の『感想』or『感覚』なだけ。

『私』は『不得手』。
あなたの『好き』は『好き』で良いじゃない。
誰かが「私はそれあまり好きではないかな」と言って揺らぐ程度の好きならそれまでで良いでしょう。

自分と他人の区別くらいして頂きたい、自分の好きが皆の好きだと思いたいのは分かるけれど押し付けないで欲しい。

押し付けられた所で受け取りもしないし出来ないものは出来ないけれど、そういった事で騒がれたり被害者面されましても。

百歩譲って私が嫌なヤツやら加害者やら悪者でも何でも良い、ぎゃんぎゃん騒ぐのはやめて頂きたい、煩わしいから。

私の『不得手』一つで何がそんなに変わるのか、私にはよく分からない。

私の『不得手』の一言で株価に変動があったりするならともかく、そんな大層な事は万に一つも無い。


感覚や感想まで同一化を求められると…申し訳無いのだけど、気色悪い。

自分の好きが誰に対しても受け入れられて肯定されるという傲慢な自意識も、他人との精神的な距離感の近さも。

私には分からない。

分からない物が全て怖いとは思わないけれど、この感覚の違いと分からない理解出来ないポイントを含めた『分からない』は、ある意味で怖いと思う。

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