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可能性の領域を拡げる
可能性の領域は、
誰の内側にも存在しています。
まるでそれは
用意してきた種子のようなもの。
その種が発芽するかしないかは
内なるその種子に光と水与えることが
できるかどうか。
そもそも『種子』って何年も、何十年も、
何百年もその可能性を
維持できるんですよね。
条件が揃えば芽吹くことができる。
それはわたしたち人間も同じだと
わたしは捉えている。
![](https://assets.st-note.com/img/1678433769460-zQWmMgotYZ.jpg?width=1200)
我が家のエントランスに咲く桜は
暮らして10年、
一度たりとも咲かなかった年はない。
まるで当たり前かのごとく、
1年に一度やってくるこのタイミングで
見事に花開く。
残りの340日くらいはまた次の桜を
咲かせるためにそこに命を宿し続ける。
人間はどうだろう?
周りに社会に他人にどう適応するかばかり
やり過ぎて、可能性の種子を芽吹かせるという
部分はおざなりになっていないのだろうか?
ほっといても、無視しても、
勝手に、その人の可能性が芽吹くとは思えない。
内なる部分に注ぐ水のような愛情、
優しい光、そして火のような情熱や
軽やかな呼吸の風を取り入れること。
それをわたしという肉体という土で
育て、育んでいく。
それが、
自然哲学であり、
もっといえば宗教で伝えようとしてる
私たちすべては『生かされている』ということなのだと
わたしは感じてる。
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