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可能性の領域を拡げる

可能性の領域は、
誰の内側にも存在しています。

まるでそれは
用意してきた種子のようなもの。

その種が発芽するかしないかは
内なるその種子に光と水与えることが
できるかどうか。

そもそも『種子』って何年も、何十年も、
何百年もその可能性を
維持できるんですよね。
条件が揃えば芽吹くことができる。
 
それはわたしたち人間も同じだと
わたしは捉えている。

我が家のエントランスに咲く桜は
暮らして10年、
一度たりとも咲かなかった年はない。
まるで当たり前かのごとく、
1年に一度やってくるこのタイミングで
見事に花開く。
残りの340日くらいはまた次の桜を
咲かせるためにそこに命を宿し続ける。

人間はどうだろう?
周りに社会に他人にどう適応するかばかり
やり過ぎて、可能性の種子を芽吹かせるという
部分はおざなりになっていないのだろうか?

ほっといても、無視しても、
勝手に、その人の可能性が芽吹くとは思えない。

内なる部分に注ぐ水のような愛情、
優しい光、そして火のような情熱や
軽やかな呼吸の風を取り入れること。

それをわたしという肉体という土で
育て、育んでいく。

それが、
自然哲学であり、
もっといえば宗教で伝えようとしてる
私たちすべては『生かされている』ということなのだと
わたしは感じてる。







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