あるいは、剣楽に痴れたる夜
澄んだ火花とともに殷々と波打つような斬奏が、俺をうんざりとさせた。
伸びやかに残留する音色が大気に溶けていかないうちに、さらに二合、刃が撃ち交わされる。
刀身の当てる場所、角度、衝撃の質に応じて、多彩にばらけた三つの音階が三和音を形成。音響工学の精髄とも言うべき聖楽堂内に反響する。
聴衆は、息を呑むのも忘れて聞き入っていたが、俺の心は冷え込む一方だった。
和音が濁っている。微妙に周波数のズレた音波同士が鬩ぎ合い、干渉縞となって不細工なうねりを生んでいる。
俺は撃ち込んだ斬楽器を支点に跳び上がり、脛に沿うように装着された奏刃を伸長。
宙で身を捻り、脚を鞭のようにしならせた。
縦に旋転しながら放たれる蹴斬撃。
濁った和音を引き裂くように、硬い斬奏が弾けた。
対手は衝撃を受け止めきれず、片膝をつく。濁っている上に乱れた音だ。心中で舌打ちする。
バッハは平均律を発明することで奏楽の世界に革命をもたらし、同時に音色から原初の神韻を奪い去った。
――もういい。
両腕を交差し、握りしめた双奏刃を両脇に装填。それぞれの鍔元にある調律円盤を親指で回し、刀身の固有振動数を緩める。
同時に突き上げられてきた敵の斬楽器を蹴り飛ばす。落下の勢いを乗せて、
戮楽の翼を振り――抜いた。
二つの閃光が交差し、右刃と、左刃と、敵の心臓が同時に接触。
俺は両腕を打ち広げた姿勢で対手の背後に着地。
擦過の焦点となった座標で、妖しい艶を帯びた交響が紡がれていた。
抜けるように澄んだ、宇宙の神秘を裡に含んだ和音。
冷たい刃物にも似て、聴く者の背筋に慄然たる恍惚を刻む。
それは、心の臓を斬り潰す際にのみ発生する微細な抵抗が、双奏刃の撃ち交わす和音に好ましい揺らぎを与えることで誕生する。
純正律の理によって世界を侵す音。
俺は降り注ぐ血の雨の喝采にも構わず、〈魔奏〉の無限ともいえる厚みと透明度に酔い痴れた。
命を奪うことでしか、この音は出せない。
【続く】
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