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〈死の巫姫〉の肖像 #2

  目次

〈それからというもの、わたしは折に触れては幽界の光景を白昼夢のように垣間見た。〉
〈多くは幽骨を視界に入れているときだったけれど、何の前触れもなく閃光のように現れては消えることもあった。〉
〈誰よりも幽世に近い娘。祭祀たちの語る死後救済が事実であることを、実際にこの目で確かめた娘。〉
〈幻視は日を追うごとに頻度と鮮明さを増していった。〉
〈だが、あるときそれを制御できるということにわたしは気づいた。見たいと思った時に見て、見たくなかったらいつでも現世に目を戻すことが徐々にできるようになっていった。〉
〈わたしはこうして、ひとりでいるときは幽世の散策を楽しむようになった。〉
〈茫漠とした薄明の中でゆらめく祖霊たちの顔を見るたびに、どこか懐かしいような、暖かいような、たまらないほど切なくなるような気持ちに襲われた。〉
〈どんな素晴らしい歌を聴いた時よりも、どんな美しい花を見た時よりも、その情景はわたしの感情を揺さぶった。〉
〈魅了されていたと言ってもいい。〉
〈そして奇妙なことに気づく。いつまで経っても飽きないのだ。ふつう、そんなことはありえない。どんなものだって、長いこと同じものを見ていたら飽きるはずなのだ。それが当たり前だ。意識するまでもない絶対の前提。〉
〈だけど――違うのかな?〉
〈「慣れ」や「飽き」は、日々流転する周囲の環境に素早く対応するために培われた肉体の機能であって、命の枠組みから外れた幽世という世界では不必要なものということなのだろうか?〉
〈そんなことを考えていると、周りからは「ぼんやりしたお姫様」という扱いになっていることにふと気づき、慌てて現世に意識を戻したものだった。〉
〈何度か季節がめぐるうち、さらに不思議なものを幽世で発見した。〉
わたしがいたのだ。〉
〈一瞬、自分が何を見ているのかわからなかった。〉
〈祖霊のなかのひとりが、どう見てもわたしにしか見えないのだ。不安定にゆらめいていたけれど、顔も体格も髪形も、わたしと瓜二つだった。〉
〈他人の空似? 王家の先祖の中に、わたしそっくりな人がいたの?〉
〈そうとしか考えられないけれど、しかしそれにしても似すぎている。よくよく目を凝らすと、ホクロの位置までまったく同じだった。〉
〈確信を持つ。これはわたしだ。〉
〈でも、どういうことなんだろう? わたしは間違いなく今生きている。なのに幽世にもわたしがいるなんて道理に合わない。〉
〈その瞬間――幽世のわたしが、こっちを見た。〉
〈まあ、と言うように両手で口を押さえ、目を丸くしている。そして眉尻を下げ、ここにいてはだめ、と唇を動かしながら首を振った。〉
〈わたしが幽世を覗き見ていることを咎めているだけで、わたしの存在自体を不思議に思っているわけではないみたいだった。〉
〈つまり、彼女はわたしの知らないことを知っている。〉

〈「どういうことなの?」〉

〈わたしは問いかけたが、現世の体が声を発しただけで、幽世のわたしには届いていないようだった。〉
〈やがて、幽世のわたしが手をこちらに向けると、見えない圧力のようなものが生じて、わたしの意識を吹き飛ばした。〉
〈気が付くと、現世に戻ってきていた。目を開けた瞬間、父上と母上が左右から抱きついてくる。ふたりとも目に涙を浮かべていた。それでようやく、現世の私の肉体が死にかけていたらしいということを知った。〉
〈泣いて喜ぶふたりの頬にキスをしながら、わたしは今幽世で見たものの意味を考えていた。〉
〈……あれはわたしだ。間違いない。〉
〈でも、なぜ? これまで数えきれないほど現世と幽世の両方で人々を見てきた。だけど、それぞれの世界で同じ人がいたためしなんてない。〉
〈もちろん、わたしはオブスキュア王国一万三千の人々すべてと知り合いなわけじゃない。だから両方の世界に同時にいるエルフに、気づいていないだけなのかもしれない。〉
〈だけど、やっぱりそれはおかしい。幽世は死者の世界。生きたままそこにいけるはずがない。そもそも二つの世界に同時にいるとはどういうことだ。それは生きているのか。死んでいるのか。〉
〈……わからない。もういちど幽世のわたしに会えば、何かわかるのだろうか? だけど、それをするとまた肉体が死にかけて、父上と母上に心配をかけてしまう。〉

〈結局、糸口の見つからないまま、さらに時は流れた。〉
〈わたしは、生まれつき体が弱く、魔力容量も少ない。普通のエルフの十分の一程度だ。魔法なんて使えないし、身を守る手段なんてない。〉
〈だからそのときも、息を呑んで立ち尽くすことしかできなかった。〉
〈目の前に、大きな牙の生えた猪がいた。体高が父上の背より高く、しかもかなり気が立っている。いきなり木陰から出てきたわたしにびっくりしたみたいだった。〉
〈地面を蹄で掻き、今にも突進してきそうだ。すぐに木に登れば良かったのだけど、気が動転して手足が動かなかった。〉
〈こんなことならお傍居役のアーブラスの目を盗んで一人で森をうろうろするんじゃなかった。わたしが死んだら彼は処罰されてしまうのだろうか。なんてことだろう。ごめんなさい。〉
〈ぎゅっと目を閉じて、こないで、という意志を込めて手のひらを猪に突き出した。何の意味もない、悪あがきにもなっていない動作。〉
〈だけど――牙に貫かれたり、蹄で踏みしだかれたりする感触は、一向に襲ってこなかった。〉
〈代わりに、どさりという音がした。〉
〈一瞬待ち、もう一瞬待ち、さすがにおかしいと思って薄目を開けると、猪は目の前で倒れていた。〉
〈四肢を投げ出し、目を閉ざし、ぴくりとも動かない。〉
〈恐る恐る近づいても、暴れ出す気配はない。〉
〈いや、というより――呼吸を、していない。〉
〈わたしは喉から抜けるような悲鳴をもらし、尻餅をついた。なんだ? 何が起こった? なぜ?〉

〈――わたしが?〉

〈殺したのか? 幽世で出会ったわたしがやったのと同じように?〉
〈幽世を幻視するのみならず、他者を幽世に追放できてしまうとでも?〉
〈震えが止まらなかった。自分が恐ろしかった。〉
〈アーブラス・シュネービッチェンがわたしを呼びかけながら肩をゆするまで、ずっと猪の死体を見ていた。〉

〈それから、わたしは王城の自室にこもり、人との触れ合いを拒むようになった。〉
〈姫殿下としての務めで、人前に出なければならないときはあったけれど、いつどのようなきっかけで猪を殺した力が発動してしまうのかがわからなかったので、とうてい好き好んで人々と交流する気にはなれなかった。〉
〈極端な引っ込み思案のお姫様――そんな牧歌的な解釈をしてくれた周囲の人々の朗らかさが、ありがたくも寂しかった。〉
〈皆、暖かで少し寂しそうな微笑みを浮かべながら、気を使ってわたしがうなずくまでは近寄らないでいてくれた。〉
〈涙が出そうになった。〉
〈同い年や年下の子たちはわたしを追い抜いてあっという間に大きくなり、大人と変わらない背丈になっていったが、王族であるわたしだけは成長がずっと遅く、いつまでもちんちくりんのままだったことも、なんだか無性に悲しかった。〉
〈とにかく、死の力を制御しなくてはならない。〉

【続く】

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