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魔王はいかにして幼き勇者を飼育するに至ったか #2

 

「とにかく、あれは打倒せねばならぬ存在だ」
 気を取り直すように咳払いをし、魔王は言葉を続ける。
「もはやこの地上に、余の支配が及ばぬ場所は存在しない――ただひとつの部屋を除いて、な」
 皇城すら魔王の手に落ちていた。人類は抵抗の意思を失い、恭順の意を示している。
 謁見の間というわずかな例外を除いて。
「正直、その例外が、辺境の僻地であったのならば、余もそれほど目くじらは立てぬ。敗残の支配者が一人、もはや光の勇者も討たれたこの情勢で、何かできるとも思えんしな」
 魔王は拳を握り締める。そこにはオリハルコン・ゴーレムをも一瞬で握りつぶすのみならず分子同士を圧縮して核融合を引き起こしてしまうほどの力が込められていたが、今は魔王の怒りを表現するに留まっている。
「だが! 奴はこともあろうに支配機構の中枢部、その中でも最も代表的な部屋に居座り続けておる! 許しがたい侮辱である。散り際を心得ぬ無粋者めが……!」
 握った拳を軽く机に打ち付ける。机はあっさりと拳の形にへこんだ。
「余はこの戦いの中で、人間という種族についていくたりかの理解は得ているつもりだ。その理解の範疇で判断するなら、奴らはひと月もの間飲まず食わずで戦い続けられるような身体構造をしてはいないはずである。この点について異議のあるものはいるか!?」
 誰も声は上げなかった。
「にもかかわらず何故奴は倒れない! 何故我が精鋭たちがこうも敗北を重ねる!」
 不気味な話である。魔族の中には、生物の魂を吸収代謝して存在を維持する者もいたが、人間にそんな芸当ができるはずもない。
「いかにしてあの男は我らを相手取って一歩も引かぬ健康状態を維持できているのか? 本日はそのことについてお前たちの意見を聞きたい」
 魔王は鼻息も荒くそう締めくくる。
 十二人の魔将軍たちは、しばしの間、ざわざわとささやき交わしていた。魔王を前にしていいかげんな憶測でものは言えない。下手に機嫌を損ねれば指先一つで消し灰に変えられてしまう。少なくとも彼らはそう信じていた。願っていたと言ってもいい。魔王とは常に畏怖の対象でなくてはならないのだから。
 そんな空気を一切無視して、アドナフェルは淡々と口を開く。
「確かに、不可解ではあります。謁見の間は完全に我が軍が固めており、人の出入りは不可能。つまりかの皇帝は、医薬品はおろか食料すら得られない状況にあるということでございます。考えられる仮説としては――」
 思わせぶりに間を置く。十分に注目が集まったのを確認してから、アドナフェルは言葉をつづけた。
「ひとつ、皇帝は何らかの魔法的手段によって活力を得ている。
 ふたつ、我らの中に裏切り者がいて皇帝を支援している。
 みっつ、そもそも皇帝は人間ではなかった。
 ……このいずれかではないかと思われます」
 息をのむ気配が部屋を満たした。
 そのどれであっても、魔王としては歓迎できない事態である。
 そこへ、流暢で涼やかな声が投げかけられた。
「アドナフェルよ、神殺しの断罪者よ。貴公が提示した三つの仮説、興味深く拝聴させてもらった」
 流れるように滑らかな発声。
 その元は、黒い甲冑を纏う人身狼頭の魔人であった。
「しかし、二番目の仮説――『我が軍の中に裏切り者がいる』という仮説のみ、表現が修辞的すぎるせいか、みどもには理解しがたいものがあった」
 全身を暗灰色の毛並みが覆っており、黄金の瞳には落ち着いた知性の光が宿っている。
「我らの中に裏切り者? 聞くがアドナフェル。貴公はいかなる思考の結果、そのような珍妙な仮説に行き着いたのか?」
 光陰爪牙レヴェンスラウ。《牙持つ死》レヴェンスラウ。不可視にして最速の狩猟者。大戦中、人類側の前線指揮官を片端から引き裂いてゆき、その作戦行動の多くを破綻させてきた影の功労者。
「どのような? ごく自然な推理の結果でございますよ。皇帝は我々が完全に包囲している。もしも皇帝に何らかの支援を行う者がいたとするなら、我が軍のうちの誰かとしか考えられません」
「だから、何故そうなるのだ。皇帝に手を貸すということは、その……ひどく矛盾した表現になるが、つまり『天地神明森羅万象の摂理であらせられる魔王陛下に逆らう』ということなのだろう?」
「ですからそう言っているではございませんか」
「意味がわからぬ。なぜそんなことをするのだ。その者は気が違っているのか」
 嫌味でも当てこすりでもなく、レヴェンスラウは本気で疑問に思っているようだった。
「でーすーかーらー、もし裏切り者が皇帝の支援をしていたとするなら、その者の目的はただひとつ。魔王陛下を皇帝との直接対決に引っ張り出して戦わせ、生き残ったほうを抹殺することで自分が頂点に立とうという目論見に相違ありません」
 レヴェンスラウは、しばし瞬きを繰り返し、大きな耳をパタパタと動かした。思考を巡らせている時の癖である。
 しばらくして、魔狼は重々しく発言する。
「……世界の真理を解き明かした魔人よ、貴公の言うことは難解すぎる。その知識から何か深遠な気付きを得た貴公にしてみれば、みどもの言動はひどく幼稚に思えることであろうが、どうかもう少し簡単な言葉で説明してほしい」

【続く】

本作は外伝的ななんかです。本編はこちら。


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