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ドナドナドーナードーナー

  目次

「よくないね。慣れないことはするものじゃない。どうやらあなたにはお見通しだったみたいだ」

 苦笑しながら肩をすくめる。
 ここでシャーリィを殺せば、〈鉄仮面〉とヴォルダガッダの目的は確実に成就することだろう。
 だが、〈道化師〉の目的はそれとはいささか異なる。
 ここでフィン・インペトゥスを確保できないのは痛い。取り返せないほどの失点ではないが、姫君を殺さない方に確実に気持ちが傾くだけの重みはあった。
 何より、フィン少年はある意味において〈道化師〉と同じ境遇だった。できれば救ってやりたい。

「あなたの処遇は、ヴォルダガッダと〈鉄仮面〉と協議して決めることになるだろう。あなたは確実に助かる道を自ら捨てたんだ。それなりの覚悟はしてもらおうか。人質として、英雄たちの足を引っ張る覚悟をね」

 穏やかに釘を刺し、〈道化師〉は移動を再開した。
 それから数時間ほど空を飛び続け、やがてオブスキュア第三都市ヘリテージが見えてきた。
 巨樹で形作られた摩天楼とでも言うべきその威容に、〈道化師〉は目を細めた。

「美しい街並みだ。エルフたちは豊かで穏やかな暮らしを続けてきたんだろうね。ある意味において、ユートピアが実現していたわけだ」

 だからこそ、〈鉄仮面〉が今回の挙に出た理由が痛いほどわかった。

「――燃やすよ。それは決定事項だ。僕たちはこの理想郷を燃やし尽くす。何を犠牲にしようともね」

 シャーリィの強い視線を受け、〈道化師〉は悠然と微笑む。

「恨むかい? 別に構わないよ。称賛が欲しくてやっているわけじゃないんだ」

 眼下では、無数のオークたちがひしめき合っていた。そこかしこで火が熾され、森の獣たちが丸焼きにされている。大きな瓶に入ったエルフの酒が開けられ、騒々しい吠え声が幾重にも反響していた。殴り合いや殺し合いをしているオークもそこかしこに見受けられる。
 オブスキュアに侵入したオークの、ほぼ全軍である。来たるヘリテージでの決戦に向け、ヴォルダガッダが招集をかけたのだ。
 破壊されたものを除く六体の〈虫〉も、樹冠の上に待機させている。
 姫君は、鳥かごの枠を掴んでそちらを凝視した。

「あぁ、エルフがひどい目にあってないか気になるのかい? そこは安心するといい。ヘリテージは〈鉄仮面〉が一人で制圧した。そしてそこにいたエルフたちは全員追い払った。たぶん、今頃はそのあたりの森の中に潜んでいることだろう」

 怪訝そうにこちらを見やるシャーリィ。

「理想郷を燃やすなんて言ってる連中が、なんでエルフの命に配慮したような行動をとるのか? 別に教えてあげてもいいんだけど、〈鉄仮面〉はいい顔をしないだろうな。ほら、彼ってけっこうシャイだから。自分の行動原理を誰かに理解されることを忌避しているみたいだ。友情にひびを入れないためにも、僕が勝手に話すわけにはいかないな」

 肩をすくめる。

「さて、そろそろ着くよ。あなたにもお馴染みの樹上庭園だ」

 ひときわ大きな巨樹が聳え立つ。あまりに太い幹には螺旋階段が巻きついており、その樹冠は左右の端が見通せないほどの広大さだ。
 〈道化師〉は悠々と、枝々の間に分け入っていった。
 それ自体がひとつの森なのではと錯覚するほど大いなる梢の内部には、虫や、鳥や、獣たちが豊かな生態系を作り上げている。さまざまな鳴き声と、爽やかな葉の匂いが、〈道化師〉を優しく包み込んだ。
 やがて、無数の細い枝が緊密に絡み合った、巨大な籠のような構造物が見えてきた。

「人族からするととても不思議な光景だ。森に意志があるなんて、ここに来るまでは一笑に付していたところなんだけど、これを見ると信じるしかないな」

 返事は期待せず、〈道化師〉は籠の一部に開いた穴から中に入っていった。

「大いなる庇護と慈愛の意志。僕たちのようなちっぽけな存在には計り知れないほどのスケールで、嗣子たるエルフを養ってきた。もはや神、と言っても過言ではないね。しかも、ここまで雄大で慈悲深い神はそうそういないだろう」

 しばらく進むと、穴を構成するものが、枝から土へと変わっていった。
 巨樹の樹冠の内部に、大量の土があるのだ。

「さぁ、ご対面だ。命乞いの算段でもつけておくといい」

 穴を、抜けた。陽の光が〈道化師〉とシャーリィを出迎えた。
 そこには、風光明媚な庭園が広がっていた。樹木や、苔むした岩などが配されている。驚いたことに川と湖と滝があった。大地にあるそれと同じように、水が流れている。芝に覆われた平地に石造りの道が伸び、その左右には獣や人族を模した繊細な彫像が並び立っていた。
 なかなかに唖然とさせられる光景ではある。人族の貴族も庭園を造営するが、彼らが理想郷を表現しようとするのに対し、すでに理想郷にいるエルフたちが表現しようとしているのは、より奇妙な世界観だ。
 エルフならざる身にはなかなか理解しがたいが、ここは彼らの人族に対する複雑な憧憬をテーマとしているようであった。
 エルフは往々にして人族に好感を持つ。見た目などはまったく頓着せず、その魂の在り方に深く感じ入っているらしい。

 ――ま、とはいえ、人間っていうのは利得のためならその好意を踏みにじることもできる生き物だ。

 こんな民を抱えながら、今まで独立を保ってきた女王シャラウの手腕は、確かに優れた代物ではあるかも知れない。
 何の意味もない手腕だが。
 ともかく、そのようなエルフの病理の象徴とも言える場所に、相応しからぬ二者が佇んでいた。
 片や暴威の凶獣。ヴォルダガッダ・ヴァズダガメス。周囲の庭園は、無軌道な破壊の跡がある。暇つぶしに暴れたのだろう。破壊と殺戮はオークの根源的な本能だ。
 片や屍毒の墓標。〈鉄仮面〉。彼の周囲の芝生は、瘴気によって黒紫に染まり、壊死していた。その領域は今もじわりじわりと広がり続けている。ただそこにいるだけで死と破滅をもたらす厄災。

【続く】

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