君の涙が枯れ、
煮え滾る汚泥が廻っているようなその眼に、総十郎は打ちのめされるような衝撃を受けた。
――駄目だ。
痛ましくて、直視できなかった。
――君は、そんな目をしてはいけない。
だが、それを口にしたところで、彼はさらに頑なになるだけだ。
内心をおくびにも出さず、総十郎は言った。
「……ならばこうしよう。小生が合図をするまではこらえてほしい。ただ撃つだけでは、あの男は捉えられぬ。必中の機を小生が作りだそう。どうかね?」
「それは……その、了解、であります……」
こちらの言の合理性は理解してくれたようだったが、その眼は不服に満ちていた。今すぐにあれを殺させろと命じつづけている。
「話にならん。もろともに死ね」
〈鉄仮面〉が消失。直後に総十郎の刀が致死の直線となってフィンの頭をかすめるように伸びた。ちょうど出現するところだった〈鉄仮面〉は、刺突を回避するために再び消失した。
それから総十郎は、その場で剣舞のごとく刀を閃かせた。斬撃の網が周囲を走り抜ける。そのすべてが、〈鉄仮面〉の出現際を捉えていた。
敵は消失と出現を繰り返し、それらすべてをかわしつづけている。
だが――
「ぬ……」
「〈鉄仮面〉どの。その瞬間移動能力は確かに驚異的な力なれど、はっきり言って剣を鈍らせるだけであるぞ。」
そう――〈鉄仮面〉は一度たりとも攻撃動作に入れていない。その前に総十郎の太刀によって追い払われている。
「殺意を抱いてから行動を開始するまでが長すぎる。無拍子の境地には程遠いな。察するに、瞬間移動能力は後天的なものであろう。余計なプロセスを挟んでゐるから小生の先読みを許す。」
「ずいぶんと偉そうに講釈を垂れてくれるではないか人族よ。その短い生涯で得られる程度の武技で、どこまで私に食い下がれるか見ものだな」
数歩先の銀糸上に出現。総十郎と同じく驚異的なバランス感覚で歩んでくる。圧倒的な自負。総十郎の絶技を前にしてもまったく余裕が崩れない。
優雅でかつ洗練された歩法。背後のフィンが、憎悪に満ちた唸りを発する。まるで首輪で抑え込まれた狂犬だ。
――突き放すか抱きしめるか、そろそろ決めるべきなんだよ。
天啓のように、〈道化師〉の言葉が脳裏によみがえる。
「……あゝ、そうだな、〈道化師〉くん。」
口の中でつぶやき、糸の上を歩みだす。
――本来ならば、突き放すべきだったのだ。
鵺火総十郎とフィン・インペトゥスは、本来ならば決して出会うことなどなかったはずだ。それをシャーリィ殿下という奇縁によってめぐり会う結果になったわけだが――所詮は別の世界の住民同士だ。ことが終わればそれでお別れ。それが当然だし、そうあるべきだ。
だが、総十郎は、それをわかっていながら、フィン・インペトゥスと――この無垢でひたむきな少年と、絆を結ぼうとしてしまった。どうせお別れになることが分かり切っているのに。彼が、安息も慰めもない修羅道のごとき世界から来た存在だと、とっくに感づいていたのに。
彼にとって、いずれ必ず失われることが確定している温もりと優しさを、総十郎は不用意に与えてしまった。その迂闊さに気づいたのは、〈道化師〉にそろそろ決めろと言われた瞬間であった。
一生温もりなど知らなければ。ここのような美しい世界があるなどと知らなければ。戦い以外の場でも絆は紡がれうるのだと知らなければ。きっとフィン・インペトゥスは、慈悲なき殺戮の生を全うし続けることができたのだ。
――だが、その道を小生らは無責任に奪った。
人は、最初から持たぬことには耐えられても、ひとたび得た物を失うことには耐えられない。こんな簡単なことにも気づかぬまま、総十郎は、シャーリィは、リーネは、烈火は、彼を絶望への袋小路へと追いやってしまった。
償わねばならぬ。もはや後には引けぬのだ。
総十郎は、決断した。抱き締め抜くと、誓った。
「フィンくん。」
振り返らぬまま、呼びかける。応えはない。憎悪の唸りだけがある。
「王国のことが終わっても、小生は君を一人にするつもりはない。」
唸りが、止んだ。
「……え……」
「だから、お願いだからそんな顔をしないでおくれ。君が蒲公英のように笑ってゐてくれないと、小生はとても哀しいのだ。」
そう言い残し、総十郎は〈鉄仮面〉の間合いに踏み入った。
黒き斬光が、幾重にも襲い掛かってきた。
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