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文系がトートロジーで誤魔化さない魔法原理を考えようとしてずのうがばくはつして死んだ話 上

 俺だ。

 小説を連載しているぞ。読め。

 拙作『シロガネ⇔ストラグル』は、トールキンやD&Dを元ネタとする、可能な限り理解可能性が高い「一般的な剣と魔法のファンタジー世界」を過不足なく描き出し、そのうえで独創的な物語を紡ごうとしている。

 当然、シロガネ世界には魔法も存在している。特段、他にはない異様な魔法像を描くつもりはなく、呪文を唱えればなんらかの超常現象が起きる感じのやつだ。ここでオリジナリティを出すつもりはない。

 それはそれとして詳細な魔法の作動原理を設定しておくことは、血の通ったREALな描写のためにも重要であろうと考えた。もちろんその原理の設定をいちいち本文中で詳細に説明する気はない。内部の骨格を意識して絵を描いたほうがREALになるのと同じように、描写の背後に緻密な設定と言うバックボーンがあればさらに良くなるだろうというつもりである。

 ところが、魔法の原理を考えてゆくうちに、思いがけない問題が発生し、俺はウィキペディアをさ迷い歩き、頭を抱え、知恵熱を出し、ニューロンが溶解し、奇声を発し、涎を撒き散らし、近所をフルチンで走り回り、補導されかかったところ頭脳が爆発して死んだ。かかる最期を遂げたる者は三千世界に災いをもたらすとの言い伝えあり。本稿はその過程を記すものである。同じように魔法の原理を詳細に考えようとしている諸氏にも何らかの参考になるかもしれぬ。ならぬかもしれぬ。なんかそんな記事だ。

魔法とは変換である

 まず真っ先に考えたのは、「魔法の本質とは変換である」という根幹設定だ。無から有が生じるわけではなく、有を別の形の有に変える行いが魔法であると定義づけた。

 無から有が生じると、要するに無限のエネルギー源が存在するということになってしまい、恐らく人々は経済活動をする必要すらなくなってゆくように思う。それはどう考えても「一般的な剣と魔法の異世界」ではない。

 そこで「魔力」と「精霊力」という二つの概念を考える。なんとなく同じものの言い換えとして扱われることの多い二つの単語だが、シロガネ世界では明確に別のものとして扱うことにする。

 魔力は第一質料である。純粋なエネルギー概念であり、万物万象に変換可能な代物だ。目に見えないし、触ることもできない。

 精霊力は、それより物質的なふるまいをする。世界は「精霊力の粒子」で満ち、魔法的な感受性の強いものは「精霊力の風」を感じ取ることもできるだろう。

 自然界には「火の精霊力」や「水の精霊力」など多くの種類の精霊力が存在しているが、いっぽう魔力は魔力。一種類のみである。そして、魔力と精霊力は相互に変換可能である。ただし変換するたびに総量が目減りしてゆく。

 普通の魔法使いは、自然界にある諸精霊力を一旦魔力に変換して体内に取り込み、しかるのちに目的の現象を起こす精霊力に再変換することで超常現象を引き起こしている。

 雷魔法の場合は、周囲の環境に存在する水だか土だか風だかの精霊力を魔力に変換して取り込み、その後雷の精霊力に再変換してババババーッ!!! ってしてるわけだ。

 ところがここで疑問が生ずる。そうして発生した雷をどうやって制御しているのかということである。何も考えずに電気を発生させたら、食らうのは十中八九術者自身である。では、魔力を雷の精霊力に変換する際、一部魔力のまま保持しておく。で、この残留魔力を用いて大気の原子に余計な電子を発生させるというのはどうであろうか。魔力を用いて、電撃が進んでゆく経路を術者が設定するというわけだ。

 だがその説明は説明になっていない。そもそも「電気」とは、媒介となる物質(この場合は大気)の保有する電子が不正規に増えたり減ったりした結果、その不均衡を正そうとして「余計に電子を持っている原子」から、「電子が足りていない原子」へと電子が移動してゆく現象そのものを指す。電気と言う物質が存在しているわけではないのだ。

 つまり、「魔力を用いて電子の不均衡を発生させ、これをもって電撃の通り道とする」説明は、最初から成立していない。前半の「魔力を用いて電子の不均衡を発生させ」の時点でもう電気は発生しているのであり、精霊力が何の機能も果たしていないのである。

 このプランは破棄だ。ではどうするのか。雷の精霊力が電気を生むということは、精霊力がどうにかして原子から電子を取り上げたり与えたりしているということである。どういうことだよ。どういう力なんだそれは。そもそも電子がくっついたり移動したりするのはどういう時なんだ。その条件はなんだ。

 そう思ってウィキペディア先生におすがりしたわけであるが、仕事関数とかいうわけのわからないページに飛ばされ、そこに書かれている内容が一ミリも理解できず、頭を抱え、知恵熱を出し、ニューロンが溶解し、奇声を発し、涎を撒き散らし、近所をフルチンで走り回り、補導されかかったところ頭脳が爆発して死んだ。

 うぐぐぐぐぐ。しかし精霊力。精霊の力である。精霊っつったらおめー、なんか意志を持つ感じの存在として描かれることが多いじゃないですか。ということは何ですか。雷の精霊さんたちがよいしょよいしょと電子を運んで電位的不均衡を作り出しているとでも言うのだろうか。いや、しかしそれは、超常現象を超常物質で説明しているトートロジーではないのか。だが電子の遊離/固定の機序が俺の知能ではまったく理解不能なので、トートロジーで誤魔化すしかないんじゃないのこれ……いや、でもなぁ……

そも説明とは

 そもそもトートロジーではない説明って何だ? 存在するのか? 説明とはすなわち「AとはBである」という言い換えに過ぎず、Bがたまたま相手に理解できる事物であった場合にのみ説明という行いは成立する。しかし、今回の場合、「雷魔法は雷の精霊さんが一生懸命働いて起こる現象である」では説明が成立していない。雷の精霊さんがどうやって電子を移動させているのかを説明しなくては――と思いかけて、いや、待て、なんか、それは意味があるのか? という気分になってくる。

 この違和感を説明しようとすると、拙作『鏖都アギュギテムの紅昏』で使おうと思って書いたけれど、結局使わぬままボツになった文章があり、それを読んでもらうのが適切と思われるので、少々長いが引用させていただく。

 ――因果律、という考え方がある。
 この世のあらゆる物事には原因があり、その原因もまたさかのぼれば別の原因が存在している。そのような世界観のことである。
 この考え方は大多数の人類に唯一の真理として受け入れられている。
 ……ほとんどの場合において、それは単なる錯覚である。
 たとえば、「剣を相手に突き刺した」「相手は死んだ」という二つの事象があったとする。
 因果律の考え方に従えば、この二つを「ゆえに」で結ぶことになる。
 しかし、それでは何も説明したことにならない。「ゆえに」とはどういうことか。何が起こっているのか。なぜ剣を突き刺したら相手は死ぬのか。
 こういう疑問に対し、普通の人間はまともに取り合わない。刺されたら死ぬのは当たり前のことだ。説明の必要などない。
 だが、説明の必要がないのと同時に、説明できないからでもある。どうやって自分の体を動かしているのかを説明できないのと同じだ。「原理はわからないがとにかくそうなんだ」としか言いようがない。証明などできず、根拠もない。ただの決めつけである。
 最新の解剖学を修めた者なら、「ゆえに」の部分で何が起こっているのかを説明しようとするだろう。
「剣を相手に突き刺した」「ゆえに」「生命の維持に必要な器官が破壊された」「ゆえに」「相手は死んだ」。
 しかし、それでも説明したことにならない。現象を細かく刻んで「ゆえに」が増えただけで、そもそも「ゆえに」とは何か――という疑問に対して何の答にもなっていない。
 これはどれほど緻密に現象を説明しても逃れることのできない疑問である。
 因果律ゆえに的思考に従っていくら言葉を連ねようが、決して真理には辿り着かないのだ。「相手は死んだ」の原因として、「剣を相手に突き刺した」では不足であり、「生命の維持に必要な器官が破壊された」でも不足であり、「右心房の外壁が破れて心臓がふいごとしての用を成さなくなり、血流が阻害され、全身に〈魄〉が行き渡らなくなり云々」でもまだ不足で――いくら考察を深めようがこの世に原因と呼ぶに足る事象など存在しないのだ。どこまでいっても「ゆえに」が消えることはなく、無根拠な決めつけから脱け出せない。
 何故か。
 背教賢者の一学派は、こう論ずる。
 因果律など存在しないからだ――と。
 ある事象(剣を相手に突き刺した)の直後に特定の事象(相手は死んだ)が発生することが多いからと言って、これら二つの事物を並べて因果関係という実体のない鎖で繋いでしまおうとするのは論理の飛躍、あるいは思考の停止と言うべきことだ。剣で刺された人間が必ず死ぬわけではない。中には運よく一命を取り留める者もいるだろう。そういう場合において、不動の真理であるはずの因果律は何をしているのか。時によって働いたり働かなかったりするようなものを真理などと言ってよいのか。
 因果律ゆえにとは、いかなる定義づけもできない、説明不可能な概念なのである。もっと言えば、本来無意味な世界に意味を求めようとする人間の願望が生み出した妄想である。

 説明とは、現象を細かく刻んでそれぞれに名前をつけているに過ぎないのではないか。ざっくりした説明と、細かい説明があるが、両者に量的な違いはあっても質的な違いはないのではないか。

 こうしてそもそも論が繰り返され、考察は無限に後退し、設定を考えるという初志は一切果たされず、頭を抱え、知恵熱を出し、ニューロンが溶解し、奇声を発し、涎を撒き散らし、近所をフルチンで走り回り、補導されかかったところ頭脳が爆発して死んだ。

 雷の精霊がどうにかして雷魔法が起こっている、という説明に納得できない俺であるが、しかし納得する人もいるであろう。ええと、だからその、なんだ、何が言いたいんだ俺は。説明って何だ。うううううううう、だって電子の遊離なんてお前、こすり合わせたりする程度のことで起こるんだぜ?

 で、えー、そもそも原子核が電子を捉えているのはいかなる力なのかということを調べようとしたが、全然わからなかった。原子核は正の電荷を帯びているようだが、ええとつまりなに? 電子は負の電荷を帯びていて? そんでひっついてんの? え? ん? あれ? 今まで俺は「電荷」とか「電位差」というものを、原子核が保有する電子の数がイレギュラーに多くなったり少なくなったりしたがゆえに発生するものと理解してきたが、原子核や電子そのものが電荷を帯びているというのは何か非常に混乱する。えー、あー、えー、ダメだ。俺文系やねんなホンマ堪忍してほしいわマジで。えー、とにかく雷の精霊が、なんか電子を引きつける力を自分の意志で上下させられる原子核のようなふるまいを行う。そして、術者の意志に応じて適切な形状の電場を形成し、結果大規模な電位的不均衡が発生し、それを解消するために電子の大移動が生じ、雷魔法が発動するのだ。

【続く】

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