愛していた。愛して、いたんだ
「黙れェッッ!!」
反射的に〈黒き宿命の吟じ手〉を手の中に呼び戻した。
生前の駆体が、死した肉体の中に蘇り、一瞬にして間合いを侵略。全身の関節の可動が一致し、黒き魔剣の刃先は音速の壁を突破した。
が――
「……ッ」
見てしまった。
少女の頬を伝う、透明な雫を。
おずおずと差し伸ばされた、小さな手を。
赤く充血した、その視線を。確信と、哀しみに満ちた、そのまなこを。
愕然とする。
「……うぁ……あああ……!」
そんな顔だけはさせたくなかったというのに。
剣を無様に取り落とし、〈鉄仮面〉は顔を覆った。
そして、逃げた。
蒼く稚い眼から。
遁走した。
●
不浄の幻炎に包まれて消失した〈鉄仮面〉を、総十郎は黙って見送った。
彼が顔を覆った瞬間は、絶好の攻撃機会であったが――総十郎はなにもしなかった。
腕の中の少女の様子に気づいたからだ。
「……殿下。あの者に、心当たりでも?」
その体は、震えていた。
啜り泣きながら、無言のまま胸にすがりついてくる少女を、総十郎は黙って抱き締めた。
少しでも、彼女と痛みを分かち合えるように。
●
ヴォルダガッダ・ヴァズダガメスの苛立ちは、頂点に達しようとしていた。
牙を軋らせ、前方を睨みつける。
輝く甲冑をまとったヒョロカスどもが、十数人。剣を構え、こちらを油断なく見据えている。
――おかしい。
絶対に、おかしい。
二日前から生じた、奇妙な違和感。
鬨の声とともに、ヒョロカスどもが殺到してくる。各々が、ヴォルダガッダの舎弟どもでは厳しいと感じさせる手練れの動きだ。
裂帛とも絶叫とも咆哮ともつかぬ大音声を発し、悪鬼の王は大戦鎌を横薙ぎに振るった。
一閃。
エルフ騎士たちは、一斉に吹き飛ばされた。苦痛の叫びをあげ、中には昏倒する者もいる。
だが。
誰一人として、胴を両断されて絶命する者はいなかった。
当然ながらヴォルダガッダは手加減などしていない。する理由が何一つない。
――なのにこのザマはなんだ!
殺せない。殺せない。殺せない。
一応、理由付けはできなくもない。奴らの着ている鎧は、鉄製ではない。なんかよくわからんがヒョロガリどもの小賢しいまじないによるものなのだろう。その防御能力は鋼鉄の甲冑を上回る。
そして、奴ら自身も、ヴォルダガッダがオブスキュア侵攻の初期に狩り立てた、鎧も武器も身に付けていない雑魚ヒョロガリとは異なる。恐らくは戦士階級。攻撃を喰らった瞬間に後ろに跳んでダメージを最小限にする身のこなしを習得しているのだ。
更に言うならヴォルダガッダ自身も絶好調というわけではない。さっき樹上庭園で砕かれた肋骨は、さすがにまだ繋がっていない。動くたびに、胸で苦痛が弾ける。
だが、それにしたところで異常にもほどがある。
思えば、生き物を殺せたのは、二日前に舎弟どもを煽動する際、口答えしやがったカスの頭を握り潰したのが最後だ。
それ以降、ヴォルダガッダは本当に、一人たりとも殺せていない。
「何だっテんだァッ!!」
再び踏み込んでくるヒョロガリどもを、紅い暴風で蹴散らし進む。
後ろから、舎弟どもも咆哮を上げてヒョロガリの群れに突っ込んでゆく。
しかし――死なない。死なない。死なない!
肉を貫き骨を砕き臓物を命を破壊するあの甘美な手ごたえが一切伝わってこない。
何かが変わってしまったのだ。
ヴォルダガッダは本能の領域で悟る。
二日前のある時点を境に、この世界は何かが救いようもなく変わってしまったのだ。
体中の血の気が引く。ヴォルダガッダは、生まれてはじめて恐怖を味わった。
この世界にはもう、ヴォルダガッダが愛するべきものが何一つなくなってしまったのではないか。
その恐怖を振り払うべく、己を鼓舞するように突撃する。縦横に鏖殺の鎌を振り回す。
だが――ヴォルダガッダは、いまひとつ魂が燃え上がっていない自分に気づいた。
自分は今、この戦いをどこかつまらないと感じている。
そしてこの原因には即座に思い当たる。
ヴォルダガッダは今、義務感で戦っている。戦いたいから戦っているのではなく、戦わねばならないから戦っている。
背後で咆哮を上げ、暴れ狂う舎弟ども。
彼らを守るために、自分は戦っている。
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