さよならツイッター、人類に君は早すぎた 【ニュージー無職日記】

ここ最近「FLAPTALK」というアプリに注目している。

ざっくり説明すると「完全匿名のツイッター」という感じである。

タイムラインにはユーザの発言内容が流れてくるが、誰の発言かはわからない。ユーザは気に入った発言に「共感」することができる。お互いに「共感」しあえる相手が見つかって初めて、ユーザ同士の交流ができるようになるという仕組みだ。

なんと素晴らしいシステムだろうかと感動した。FLAPTALKはいまのツイッターが抱える最も大きな問題を見事に解決している。その問題とは、友人知人の頭の中すべてがコンテンツとしてだだ漏れになってしまうことだ。

ツイッターを使い始めてもうすぐ10年になる。かつては何百人ものユーザをフォローし、混沌としたタイムラインの渦を眺めて楽しんでいた。趣味の合いそうな人と連絡を取り合い、実際に会ったことも何度かある。

しかし、タイムラインの中に知り合いが増えれば増えるほど、それを眺めるのが苦痛になっていた。なぜか。リアルでは仲の良い友人が、決定的に自分と思想が合わないと知ってしまったからだ。具体的には、フェミニズムに基づく表現規制推進、および天皇制廃止論を声高に叫んでいたことによる。

おれは表現の自由は民主国家に不可欠のものであると信じているし、だからこそ「不快に感じる人がいる」というだけの理由で表現を規制すべきではないと考える。また一人の日本国民として、日本国のアイデンティティの根幹を成す天皇制を尊重している。皇室がなくなったら神社もそれに付随する文化もすべて滅び、外国王室との関係も崩壊するがそれでいいのか。

おっと、うっかり熱が入ってしまった。ともかくも当人がツイッターで事あるごとに主張していた内容は完全なるノイズ、いや、おれの思想に対して尽く喧嘩を売っているという点においてノイズ以上の暴力であり、いったい何やねんとしびれを切らしたおれがうっかりツイートで反論してしまったことがきっかけで、その相手とは縁が切れてしまった。共通の趣味もあり、日本からニュージーランドに来る度にわざわざ連絡をくれるほどの関係だったのだが。

普段仲良くしている相手の思想が透けて見えるのは実によろしくないことが身をもってわかり、それ以来おれはツイッターでのフォローをほとんど外してしまった。別に友人の政治的思想に興味などない。知りたいときはしっかりディスカッションモードに頭を切り替えてから聞く。普段のタイムラインに流れてきても困るのだ。

そこで「FLAPTALK」である。このアプリでは発言者の顔が一切見えない。あくまで発言内容そのものに対してのみリアクションすることになる。共感できる言葉が次第にタイムラインに増えていき、見たくない言葉は自然と排除されていく。そして、お互いに共感できる相手のみとつながることができる。

この仕組みなら、フォロワー増やしを目的としたインフルエンサービジネスにハックされることもない。個人と個人の狭く密なつながりが生まれる素晴らしいサービスだと思う。

どうマネタイズする予定なのかが気になるところだが、いずれにせよユーザ数が増えなければ利益も生まれないだろう。ということで、もっと盛り上がってほしいという期待を込めて再度ご紹介しておく。

現代ツイッターはすでに思想と思想の殴り合いの場となってしまい、みんなが正義の味方面して悪者を攻撃し続けている。自分以外に誰もいなくなったタイムラインを眺めては、「よるほー」「ヒウイッヒヒー」などで牧歌的に盛り上がっていた平和な頃を思い出す。あぁ、ほんとうにいい時代だったな。

さよならツイッター。人類に君は早すぎたのだよ。

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