たまに「何故生きているのか、生きていても無駄だから死にたい」って気分になる。

 何度も何度もGoogleに問いかける。死にたいと。生きる意味はあるのかと。いつもご飯食べて寝て起きて、一日が過ぎていくけれど、私のような存在がこの世に必要あるのだろうか。生きているのが苦しいわけでも無いけれど、ただ生きているだけで引きこもっている自分は存在してはいけないんじゃないかって思ったりするというか。なんかこう、動くことに意味を考えてしまう。正常というか鬱々しない人は「そんなことは考えない」のだけど、何でもかんでも屁理屈こねて、消えたくなることっていうのが私はある。

 自傷行為はしない。想像はするけどほとんどしたことがない。親子喧嘩で外に物を投げてしまった時、静かに一人屋根に登って拾ったことがあるけれど、滑って死んでしまうことが怖かった。

じゃあ死にたくないんじゃないかって思うかもしれない。
だったら死ねば良いのかというと、それも違うだろう。
本当に死にたいのなら勝手に考えてブログにもしない方が良いだろう。

っていうかね、一過性なんですよ「死にたい」って……

私の場合ですがこうぼんやりと死にたいなって思った日があるのは

・PMDDの時
・人と関わった時
・セロトニンが足りてない
・何も達成していない虚しさみたいなもの
・貧困
・社会性

が関連してる気がする。


 PMDDっていうのは生理のときに不調になるPMSの鬱版みたいなもので、生理の周期によってめちゃくちゃネガティブになる。何か言われたりなにかされたりしたわけでもないのにすごく死にたくなる。嫌な気分がずっと続く。生理の日とかじゃなくて生理の前の日とか後の日とか生理が来たからじゃなくて女に生まれたからって感じですごいデバフがかかる。
 セロトニンが足りないのはまあ抑うつ状態とか家庭環境とか色々で、家を出て病院に行くまでデフォルトでネガティブで情緒不安定だったから、体が重いなんて思わなかった。重いのが当たり前だった。薬を飲み忘れた日とかどんどん体が重たくなってネガティブになっていって「あーセロトニンが足りないってこういうことなんだ」って思った。

 私は現在ヒキニート状態で生放送主やってて、絵描いたりしてグッズ作ったりしながら屁理屈こねて暮らしてる。なので社会性は皆無だ。病院の先生から社会性のために仕事をして人と関わろうと言われてるくらいだ。
 でも、私にとって人との関わりはとても疲れる。漫画とアニメとゲームまでは、テレビの人間までは平気なのだが、実際の人間が苦手だ。連続で関わるなら三日が限度。一週間外に出て働いたり人と関わっているとどんどん気が狂ってくる。疲れてボロボロになる。あー楽しかったと言いつつも後でお腹が痛くなる。人と関わりたくない社会性の低い引きこもりはお金が無い。だからといって稼ぐ気が無い。稼げないから死ぬし、稼ぐ必要性を感じても「もうこれで死んだって良いや」って諦めも同じくらいあって無気力になる。何もかも諦めると楽だけど、欲しい物が手に入らないからすごいムカつく。そして卑しい物欲が湧く。そんな汚い自分も嫌で、どうしようもないから、何もない状態になりたくなる。

 元気な人はそんなに深く浅くそんな何で生きてるかとか意味を求めてずっと悩んだりしない。だからこういう文章を打ってるってことは今私はネガティブモードなのだ。その度合いによってはそれは「精神」からくるものであるけれど、やっぱり「肉体」からくるものというのも無視できない。
たぶんこういう気分になった日はおとなしく静かに寝てたほうがマシなんだ。

美味しいものを食べて、好きなもの買って、普段我慢してることに挑戦して、声出して我儘言って。そう、自由に出来たら。

きっとそれはとてもいい。

サポートするとヒキニート生活が少しだけマシになる。