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#153_【観光ガイド】ストーリーとの付き合い方

最近、株式会社MIMIGURI 代表の安斎勇樹さんが、voicyで毎日配信している「安斎勇樹の冒険のヒント」をチェックしています。

安斎さんについては、以前「問いのデザイン」という本を読み、ユニークな視点を持った研究者という印象を持っていましたので、4月に音声配信が始まったと聞いてどんな話をしてくれるのかと楽しみにしていましたが、斜め上から、時には地雷スレスレを突いてぶっ込んでくる問題提起がとても面白いです。
単純に話の内容だけでも知的好奇心をくすぐられますが、問題意識を持って聴いていると、どの立場の方にとっても、必ず学びが得られる内容があると感じます。

観光ガイドをしている私にとって気づきを与えいていただいたことのひとつに、「ストーリーで語ることの功罪」というのがありましたので、今回は、そのことについて書きたいと思います。


ことのきっかけ

きっかけとなった放送回はこちらです。

本題のチャプター2も面白い知見に溢れているのですが、耳に留まったのは、ただの雑談に聞こえそうなチャプター1でした。
このあと書き綴る話のまくらにもなりますので、ご興味があれば聞いてみてください。

ストーリーで語るとよいこと

「ストーリー」を用いて語ることの効用については、あちこちでごまんと言われていますので、参考になりそうなwebサイトを引用しながら、簡単に述べるに留めたいと思います。

ストーリーテリングとは、伝えたい思いやコンセプトなどについて、それを想起させる印象的な体験談やエピソードなどの“物語”を作ったり引用したりすることで、聞き手に強く印象付ける手法を指します。抽象的な単語や情報を羅列するよりも、相手の記憶に残りやすく、理解や共感が深いことが特徴です。聞き手のモチベーション向上につながることもあるため、企業のリーダーが理念の浸透を図ったり、組織改革の求心力を高めたりする目的で活用するケースが増えています。

日本の人事部「ストーリーテリングとは」より
2024年6月29日閲覧

何かを説明をするときに、具体的な内容を筋道立てて仕立てることにより、聞き手が話の内容を理解しやすくする手法とでもいえるでしょうか。
引用元が人事関係のwebサイトですので、企業や組織運営を例えに用いられていますが、商品開発や歴史の紹介など、広く様々な場面で用いられています。

ストーリーで語ることによる弊害

観光や商品開発のセミナーで「ストーリーを作ること」がもてはやされていますが、弊害のことついて、まったくといっていいほど触れられていないように感じます。

先にリンクを付けた番組で、安斎さんは「なんで休みの日に、(プラネタリウムに来て)会社がつまらんとか陰鬱な話を聞かせられるんだよ」「自分は仕事が楽しいと思っているんだけど」と話していました。
察するに、プログラムの中で「星空を見て、ツラいことを忘れましょう!」というストーリーが展開されていたのだと思いますが、ストーリーにしたことによって、良くも悪くもストーリーテラーの解釈や思い入れの占める要素が大きくなり、共感を生みやすくなった反面、反発も起こしやすくなったということです。

私は「ストーリー」について、効果は一定認めつつも、違和感もあり、素直に受け容れらないという感覚を持っていました。
歴史ガイドを事例に考えてみますと、「時代背景を並べると、その解釈はロジックとして不自然ではないと思うけど、当事者本人に言質取ったわけじゃないっしょ?」「べつに違う見方が許容されてもよくない?」という感じに。
そのようなわけで、弊社でガイドの会の事務局を始めるまで、他所の観光地で観光ガイドを自分から依頼することは、一度もありませんでしたf^_^;)。

話が少し飛びますが、観光ガイドをはじめると、どこかのタイミングで、必ずほぼ全員が引っかかる以下のような話があります。

  • ガイドをする人によって説明する内容がバラバラなんですけど、そんなんでいいんですか、正解はなんですか。

  • (ある事実に対して)統一された見解ってないんですか。

  • 「これを説明しなさい!」というような、カチッとしたマニュアルって作らないんですか。

そのような質問や意見が出ると、ベテランガイドの方からは「ガイドを通じて、あなた自身が伝えたいことを話せばいいのよ~」と、一見まるでかみ合っていなさそうな答えが返ってきます。

少なくとも歴史ガイドにおいては、歴史もアップデートされていますので、動かしようのない正解を求めること自体がナンセンスな話です。最近ガラにもなくガイド志願者を教える立場になりましたがf^_^;)、実際そういうことを言い出すのは野暮なこととも感じます。
もちろん、根拠とする史料や文献の選び方、それらに対する認識、扱い方を間違えると、信憑性を疑われ、伝えたいことどころか自分の話自体を聞いてもらえなくなりますが、ストーリーをガチガチに決めてしまうのであれば、AIとかアバターとかに任せておけばいいという話になるのではないか、つまりはガイド人材なんて要らない、とも考えています。

とまぁ、えらそうに書いていますが、私も少し前までモヤモヤが尽きない感じで、そのあたりは過去に漫画家の高浜寛先生とお話させていただきました。よろしければ、こちらもご一読いただけると幸いですf^_^;)。

今後の観光ガイドのあり方は?

以前どこかに書いた気もしますが、私はガイドからストーリーを伝えるのではなく、聞き手に思考や発見を促し、自分のストーリーを作ってもらうのが良いと考えています。

従来の観光ガイドでは、ガイドがお客様に「教える」という構図になっていますので、「なにをいい加減な」と思われそうですが、例えば学校の先生も人間ですから完全無欠ということなどありませんし、カリキュラムが定められている学校の授業ですらそのようなものですから、観光ガイドの現場で扱う内容は、なおのこと解釈が定まっていないものだらけです。

むしろ、価値観を統一しようとするのではなく、多様であることを認識した上で説明することのほうが大事かと思いますし、様々な価値観を通じた物事の捉え方を知るほうが、ガイドにとっても視野が広がって学びにつながると思います。
※ただし、何でもかんでも受け容れることではないと考えますので、その点は付記しておきます。

先ほど、「何が(ガイドの)正解なのか」という話にも触れました。説明が流暢でよどみなく出てくるだとか、情報量が正確で豊富であるとか考えがちですが、私は説明がいくら拙くても、お客様がガイドツアーに参加して楽しかった、得るものがあった、と感じてもらえたのであれば合格、対馬が良かったとクチコミをしてくれる、また来てくれるとなったら満点だと考えます。
そして、そのツボは人それぞれ違いますので、これをやっておけば正解などというものはありませんし、ツボがありそうな場所は、お客様と接する経験を積むことでしか知り得ないと感じます。
ガイドを始める前からどうしたら完璧になるだろうとチマチマ考える人よりも、行動を起こしながらどうしたら完璧に近づけるのか考える人のほうが伸びる可能性があるということです。

まとめ

ハジッコを生きている私だから感じるのかもしれませんが、「共感は押しつけられるものではない」ということが、根底にあったのだろうと思います。そして、いまにして思えば、セミナーにおいて構成されていた「ストーリー」に共感できなかったことが、違和感の原因だったのかもしれません。

いずれにしても、手法にせよ、価値観にせよ、万能なものって世の中にそうそうありませんので、何事も特定のものにのめり込みすぎないよう気を付けたいものです。

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