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#176_【近代化遺産】豆酘崎砲台

太平洋戦争前に建造された北部の砲台を3つ紹介しましたが、当時の砲台は敵艦の侵入抑止と自国艦船の安全確保するために建造されましたので、もちろん対馬南部にもあります。

観光で行けるようなところはといいますとなかなか難しい場所が多く、どこをオススメしようか迷うところですが、今回は対馬の南のハジッコ、景勝地としても知られる豆酘崎にあります豆酘崎砲台をご紹介します。


何を目的としていたのか

豆酘崎砲台は、対馬の南西端、厳原町豆酘に建造されました。
対馬があることによって、日韓の海峡が東西ふたてに分かれますが、豆酘崎はその分岐点にあたる場所になりますので、重要視されたのでしょう。対馬沖(日本海)海戦時も、バルチック艦隊が進路を西に取るか、東に取るかで、だいぶ悩みましたしね。
砲台は、1939(昭和14)年に竣工しました。

どのような砲台だったのか

過去に紹介した3つの砲台と異なり、2連装15センチ加農砲4門と、高射機関銃が2挺、150糎射光機が設置されました。
戦後は、朝鮮戦争などの影響により、1950年代が終わる頃まで、米軍が豆酘崎に駐留します。

現在はどんな場所?

現在豆酘埼灯台が立っている場所に豆酘崎砲台の観測所があったそうで、そこを挟んで南北に砲座と弾薬庫があります。
灯台の南側と遊歩道は観光気分で訪れても特に支障ありません。

【南側の砲座です。】
【南側の弾薬庫です。(2024年3月7日撮影)】
【2ヶ月でこんなにモリモリ茂ってきます。(2024年5月19日撮影)】
【遊歩道沿いにあります掩燈所(照明をしまう場所)です。棹崎と同じタイプでしょうか。】

続いて北側です。
これから紹介する場所につきましては、ガチ仕様の装備が必要です(藪こぎや登山ができる服装、懐中電灯、できればヘルメットも)。

【豆酘埼灯台に登る途中にある門柱です。】
【門柱から延びる階段の右側にある石柱です。この裏に北側へ抜ける道?があります、】
【北側の砲座です。】
【拡大してみました。レールのような跡が見られます。】
【北側の弾薬庫です。観光客は来ない場所ですので水槽にフタがしてありません(゜o゜;;。】

豆酘崎は昔はキャンプ場だったようで、藪に埋もれるテントサイトの廃墟や階段などが見られます。
そして、その奥を突き進んでいきますと、色々なものが出てきます。

まずは、トイレの背後にある階段から、海岸に下りてみます。

【測遠機の中心位置を合わせるために用いる規正標柱です。】
【規正標柱から見る灯台(元観測所)です。】

続いて、尾崎山に登ります。

【観測所の入口です。】
【天井が金属です。】
【部屋がいくつか仕切られていたようです。】
【低くなっているスペースもあります。】
【数カ所地面に穴が掘られています。】
【上から見たところです。】
【電話ボックスにしても狭苦しそうです。】
【ナゾの建屋の基礎です。】
【巨大な水槽です。】
【ナゾの窪地を三連発。もはや遺跡です。】

オススメポイント

たびたび「砲台がある場所は眺めが良い」と書いていますが、豆酘崎から見渡せる水平線は絶景です。
景色を楽しみに観光客が訪れる場所ですので、車でのアクセスもしやすく、ビギナーの方にもオススメです(^^ )。

そして、他所の軍事史跡ではあまり見られない様子として、鉄扉をはじめとする金属類がたくさん残っていることです。
終戦後金属が高く売れたので、盗難なのか、国が積極的に売り飛ばしたのか、諸説ありますが、多くの軍事史跡では金属類が剥がされています。
しかし、豆酘崎は米軍が駐留していたため、他所に比べ金属類が残っている、と言われています。

初心者でもプロでも楽しめる史跡です。

交通アクセスなど

豆酘崎砲台のある豆酘崎(尾崎山公園)は、車で、厳原から40分、雞知(対馬空港)から55分、比田勝港から150分です。
乗用車であれば、灯台のふもとに4~5台分の駐車スペースがありますので、砲座や弾薬庫に行かれる場合は、そこまで入るのがオススメです。
規正標柱や尾崎山は、手前の大きい駐車場からのほうが便利です。
駐車場への道のりは、離合できる場所が限られていますので、運転は徐行で、くれぐれも脱輪しないようご注意ください。


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