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#73_【読書】US-2救難飛行艇開発物語/月島冬二(小学館)

2020年春、海上自衛隊の観桜会(桜を見る会?)に合わせて、美津島町竹敷(海上自衛隊対馬防備隊がある地区)に飛行艇がやってくるというウワサがありました。

【海上自衛隊対馬防備隊】

当時、ボーイングとエアバスの区別すら付いていなかった私には、どれほどの事態なのかまったく掴めておらず、結局コロナで中止になり、しばらく記憶の彼方に去っていたのですが、今年、空の日(9月20日)に関連して、新明和工業の航空機事業部長の方が講演をされていて、この世に「空飛ぶ船」があることを初めて知りました(゜o゜;;。

水陸両用車に乗って着水した時でも十分衝撃的でしたが、「飛行機が船になるってどういうこと??」「どうやって開発されたん???」と気になることが増えてきましたが、いかんせん、ド文系の私がいきなり専門書を読んでも理解がおぼつかないと思い、この本を手に取りました。

【US-2救難飛行艇開発物語全4巻】

日本の航空機産業といいますと、戦後航空機の生産はおろか研究すら禁止された時期があり、世界的に大きく後れを取りましたが、飛行艇だけは技術が受け継がれていきました。素人の私からすると、そもそも飛行艇は戦前の日本にすでにあったことから衝撃的でしたが(゜o、゜;;。
ちなみに、新明和工業の前身は川西航空機という会社で、二式飛行艇(二式大艇)や紫電改などの海軍用航空機を製造しています。

【soraかさい(鶉野飛行場跡地)に展示されている「九七式艦上攻撃機」(上)と「紫電改」(下)実物模型】

飛行艇の大きな利点は、滑走路がなくても海などの水面で離着陸できることと、ヘリコプターに比べ、長い航続距離と大量の搭載力があります。
とまぁ、言うのはたやすいですが、着水するときの衝撃でエンジンに水しぶきが入ろうものなら故障の原因になりますし、そのためには低速で飛べないとなりませんし(ジェット機では、時速100kmだと失速して飛行できない)、悪天候でも高度を上げて動けるようにするために与圧できるよう改良が加えられたりと、現在活躍するのUS-2は、数多な試行錯誤と改良が積み上げられた賜物なのだそうです。
また、US-1Aから(US-2へ)の更新に際して、当時米軍が開発中だった「オスプレイ」と天秤にかけられていた話も、非常に興味深いです。
そして、無人飛行機を用いた実験というと、回転翼を持った機体ばかりが取り上げられますが、離島地域の場合は、飛行艇から何か着想が得られないだろうか、と思うところもありました。

ところで、現在の対馬空港は美津島町雞知にありますが、いまの空港ができる前に、別の場所に対馬空港があったのをご存知でしょうか?
遡ること1963(昭和38)年、美津島町竹敷に作られ、翌1964年から大村飛行場(現長崎空港の前身)と6人乗りの水陸両用機が結んでいました。しかし、故障が続出して3ヶ月後に運休、その後別の飛行機をチャーターするも上手くいかず、現在の対馬空港につながっていきます。

【対馬空港を真上から。】

このままだと、飛行艇=ポンコツというイメージが対馬で根付いてしまいそうなので、ぜひ竹敷にUS-2がやって来てほしいですね…(゚∇゚;)☆\(-_-;)。

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