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メタリックな音と、ピタゴラスの数秘と、草野球

誤字脱字を訂正しようとしたら、元の投稿を削除してしまいました。再度、記事を投稿しなおしました。スキをつけていただいた方、コメントをいただいた方、誠に申し訳ございません。なお、初回投稿から2日間でスキ72、コメント2でした。

占いというものは、知識や技術であり、同時に思想でもある。
僕はもともと占いにはまったく興味がなかった。ところがあるとき、数秘術について書かれたものを読むことがあって、「ちょっとおもしろいな」という感じをもった。数秘という名前からして、ちょっと惹かれるものもあった。英語でいえば numerology 、つまり「数字の学問」という意味だ。

起源をたどると、かなり古くからあるようだ。きちんとした文献は残っていないので、いまに伝えられる発祥の物語にどれほどの信憑性があるかはたしかに疑問が残る。それでも、紀元前3400年ごろにシュメール人が世界最古の文字を粘土板に刻んだとき、そこには数字をあらわす記号を同時に残したのだ。その記号は60進法によって表記されていることもまた興味深い。その理由は定かではないが、おそらく暦と深い関係があったのだろう。

はじめに鍛冶屋の音があった

数秘術はその名のとおり、数字がもつ意味をもちいて、性格や才能、使命などを解釈しようとする占いの一形態だ。さまざまな地域で、その文化や宗教と関連しながら発展してきたため、いまでは多様なかたちがみられる。ただ、そのルーツを探ると、古代ギリシアにいきあたる。もちろんさっきも書いたように、それはひとつの伝承であり説だ。けれども、その物語が僕には興味深かった。それを紹介してみよう。

紀元前6世紀ごろのことである。
古代ギリシャの数学者であり哲学者でもあったピタゴラスが、あるとき、鋭く、それでいて重厚に響きあう音を聞いた。それはカーン、カーンと甲高く震えるメタリックな音だった。そう、はじめに音があったのだ。
それは、鍛冶屋がハンマーで地鉄を打つ音だった。その音には高低があって、あるときは快く協和したものとして彼の耳に響き、また別のときには夾雑物のまじったような不協和なものとして聞こえたという。

なぜ、音の響きに差があるのか。ピタゴラスは鍛冶屋を訪れてその謎を解こうとした。
彼の仮説はこうだ。
ハンマーを打つ力によって、音の響き方に違いが生じるのではないか。
しかし、どうやらそれは違っていた。鍛冶屋には4本のハンマーがあったらしい。観察するうちに、ピタゴラスはあることに気づいた。ハンマーの違いによって、音に差が生まれているということだ。振動の比率、つまり音程の差はハンマーの重さの違いによってもたらされことがわかってきた。この振動の差が、整数比であるときには調和した音として美しく協和し、そうではないときに不協和になる。
振動の差、整数比。なぜ、そんなことがピタゴラスにわかったのか。
もうすこし詳しく話してみよう。

ピタゴラスは弦楽器をもってきて、その弦の長さを変えることで、異なる高さの音がでることを実験によって発見したのである。いまではあたりまえだが、なにしろ2500年ほど前のことである。それだけではなく、異なる長さの弦からでる音の組みあわせを聞き比べて、心地よく響く組みあわせ(協和音)と、そうではない組みあわせ(不協和)を区別した。さらに協和音と弦の長さの比に、規則性があることに気づいたのだ。

この規則性がポイントだ。心地よく響く音は2:3:4の比率になっている。まだそれをあらわす用語はなかったが、いまでいう周波数に気づいたということである。しかもそれが整数比になって重なるときは、美しさ響きをもたらした。
この発見のもとになったのが、鍛冶屋から響いてきた鉄を打つハンマーの音だった。

こうしてピタゴラスは、音の調和の背後には数字や数値の神秘が隠されていることを確信した。おそらくもっと古い時代から、人は自然界の音をたんなる雑音ではなく、宇宙の秩序を反映する神秘的なものととらえてきたのだろう。ピタゴラスは、鍛冶屋から響いてくるメタリックな音も、宇宙のリズムや数値の法則と結びつけるべきものとして直感したのかもしれない。

その後、ピタゴラスは人の魂を鎮める音楽に傾倒し、永遠の真理を教える数学を探求していった。これに並行して、数字がもつ神秘が人の運命や志向性、才能などにもつながっているとして、数秘術の基礎を発想したとされる。いいかえれば、宇宙のすべては数によって支配されているという思想をもったわけだ。

ピタゴラスの死後、この感覚や思考をプラトンらが整理し、キリスト教の聖書における数字の象徴性と関連づけながら発展させていった。またいっぽうで、オリエントにもそれは伝播し、ユダヤの神秘主義(カバラ)の影響をうけながら受け継がれていったものもある。
やがて中世になると、ヨーロッパでは宗教的なコンテキストや占星術(アルケオロジー)と結びついて、占術的色彩を濃くしていった。

人は生まれたときに神秘の数をもつ

ちょっと話がややこしくなった。
要は、なにがいいたいのか。

人は音楽だ、ということです。

ごちゃごちゃ書いてきたことをかいつまんでいえば、音は数学的な解明を可能にしているということだ。音は周波数だからね。さらに、それを組みあわせていくことで、美しい響きをつくっていくことができる。つまり音楽だ。
人もまた、同じではないか。
占いの思想の軸にはこれがある。

僕たちは生まれたときから数字をもっている。そう運命づけられている。
数秘術では、生年月日や姓名(アルファベット)を数に置き換え、方式化された計算によってある特定の数字を導きだしていく。そこにあらわれたいくつかの数字から、その人を分析する。あるいは他者のもつ数字と比べながら、相性を見たりする。数秘術にかぎらず、占星術だってこの考え方が基礎にある。

流儀によって多少の差はあるが、僕がもちいる数秘術では、1〜9までのひと桁の数字と、これに加えて11、22、33という合計12種類の数字が基本になる。一般的には生年月日から導きだした現在数・過去数・未来数の3つを中心に占うが、さらに深く知ろうとすれば姓名を数値化して、数字からの啓示をうけようとする手法もある。

と、ここまで書いて、ふと思いだしたことがある。
学生時代に僕は、2階建ての下宿屋というか学生アパートのようなところで暮らしていたことがあった。それぞれに四畳半の部屋があって、流しとトイレは共同。暮らしているのはみんな学生で、年齢も学年も学校も違ったが、半共同生活のようなかたちで日々を送っていた。
あるとき、ひとりの先輩が高校時代からつきあってきたという彼女にふられてしまった。その彼女には僕も会ったことがある。小柄で目のぱっちりとした美人で、すっきりとした聡明な話し方をした。ふたりはつきあいが長いこともあって、なんだか若い夫婦のようでもあった。もちろん結婚ということも頭にはあったのだろう。それがふいに断ち切られた。
先輩のは名前は仮にAさんとしておこう。失意のなかにいたAさんは食欲を失い、かなり疲弊していた。しばらくすると急に姓名判断に凝りはじめて、買ってきた本を読んで、しきりと自分の運勢を見ることに専念しはじめた。なにか頼るものがほしかったのだ。
そのうち自分自身のことだけではあきたらず、「おまえも見てやろう」といって、僕のことも姓名判断で鑑定した。にわか占い師の誕生だ。その話には適当につきあっていたが、なんとなくあたっている気もする。「へぇ、なかなかおもしろいな」とは思ったが、ただそれだけだ。Aさんの気晴らしになればそれでいい、という気持ちで見ていた。ただ、そのときも数字というものが気にはなった。

人は生まれながらにして、それぞれに数字をもつ。

もちろん占いの本を読んだからといって、Aさんが失恋の痛手から解放されたわけではない。そんなある日のことだ。僕たちは草野球をした。それまでも、たまにすることがあった。ふだんはグウタラしている学生たちだが、まだまだ若い男子である。野球となればいくらか気持ちのなかに浮き立つものがある。

近くの公園にいって練習もそこそこに、試合をした。僕はピッチャーをした。なにしろそのなかでは一番若かったからね。最初のうちは球が走って、相手チームのバッターからけっこう三振がとれたりもした。ところが、だんだんへばってくる。するとつかまるわけだ。
投げた球が金属バットにはじき返され、カーンというメタリックな音とともに青い空に高々と舞いあがっていく。打たれたことはもちろん悔しい。しかし、それはそれでどこか爽快だった。

公園に立ちならんでいた背の高いポプラが、黄色く色づいていたのを覚えている。秋が深まるころだったのだろう。
Aさんは年が明けると大学を卒業して、郷里の九州に帰っていった。そこで公務員になった。あれからずいぶん時間がたつが、Aさんとの交流はいまもつづいている。距離が離れているので、めったに会うことはないが、話をすれば気持ちはあのころにすこしもどる。そうして、数年に一度くらい、Aさんは彼女のことをぽつりと口にしたりする。

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