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音楽とことば〜根を同じくするもの

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音楽についてのnoteを集めます。ことばについてのnoteも集めます。どちらも、人間の鳴き声、歌声であるという点で、本質的に同じなので、分離するのが不可能です。
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#言葉

言葉とリズム

私は岡ノ谷さんの言葉が生まれる前には歌があったのでという説に興味を持っている。少なくとも最初は何らかのリズムと抑揚で意図を伝えていたのではないかと思っていて、その影響は今もあると思っている。私たちが言語を扱う時、純粋にそれが活字的だということはあり得なくて、無意識にでも人は言葉になんらかのリズムを感じているように思う。 自分自身が、書くときも、その言葉が持つリズムや語感をぼんやりとおそらく意識をしていて、それがうまくいったときの言葉ほど響きやすい。つまり言葉の意味だけではな

文字は言葉か?

縄文時代は文字がなかった時代だ。土器にも、土偶にも、土版や石板にも、文字というものは今のところ発見されていない。タイトルの写真はなにかしらの意味のある記号のようで、それともただの文様のようで、その意味はまるでわかっていない。 「文字がなかったってことは言葉もなかったの?」と、時折言われる。 そんなわけはない。「はじめに言葉ありき」というあの有名な決め台詞を知らないのだろうか、言葉の歴史は文字の歴史の何倍も古く、世界中のどんな民族にも言語はあり、どんな民俗事例をみても言語より

イチローの引退会見、羽生の銀メダルの会見、両者とも国際的な選手だけど、応答に用いた言葉は日本語。 日本語のままでも言葉が届くのは、世界の人口75億のうち、日本列島という小さな範囲に住む1億2000万が、ほぼ全て。英語ならずっと広範囲に届くが、それでも日本語を用いる意味は有るのか?

お笑いの世界に「歌丸さんのような辛口の人がいてほしい」と待ってる人は少なくないと思う。ではなぜ、歌丸さんが皆の敬意を集められたか。それは、ひとつの言葉もおろそかにせず、打ち込むべきところにピシリと打ち込む人だったから。そして、容易に炎上するような軽い言葉とは無縁の人だったから。

「ことば」はかるくむなしいので「言羽」とのあて字もあったけど、「言葉」が生き残った。それは、言葉というものは、重なることで紅葉の如く彩をなし、連なることで草木の如く自ら伸びていくことを、人々が無意識のうちに知っているからで、ゆえに現代でも「万の言の葉」との表現が古びないのだろう。

「言葉」ということばはなぜ葉っぱなのか?と子どものころから疑問でしたが、なんのことはない「ことの端」に「葉」の字をあてただけでした。でも、ひとつの言葉はことの「端っこ」にすぎないのに、指ししめす事象の名称として「全て」である。軽いけど粗略にできないのは、まるでマッチ棒のようです。

うたもいのちもことのはも、それは自然に生えてくるもの ②《140字の日記 47 ×140字のnoteことはじめ+ 》

 長くなったので、純粋に半分で切って投稿しています。  そしてなぜか、話が「肉まんうまい」につながっていきます。  前半はこちら↓。  まず、前半を読んでからこの記事を読むことをおすすめします。  ニールセンがバッハを深く尊敬し、同じ境地を目指そうとしていたことが、晩年のピアノやオルガンのための音楽からうかがえます。  ですが、ニールセンの音楽はあくまでも、「歌う身体」と「共に歌う誰か」と「共に歌うことをいざなうニールセン自身」に根ざしている。まるで歌と踊りの民族であるア

うたもいのちもことのはも、それは自然に生えてくるもの ①《140字の日記 46 ×140字のnoteことはじめ+ 》

それは梅花藻の葉先から酸素をたっぷりと含んだ泡が立ち昇るように。あるいは目白の囀りをだれも止められないように。もしくは蚕が糸を吐き繭を作ろうとするように。 ことの葉はおのずからくちびるから漏れ、筆を駆り立て、リズムをなして、あなたをさそい、共に歌うもの。いのちそのものであるもの。   #日記 #エッセイ #コラム #note初心者 #スタートライン #小説 #140文字小説 #140字 #140文字 #音楽 #歌 #ニールセン #バッハ #クラシック #デンマーク #ヒュ