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時間が買えるらしい

「時は金なり」と言う言葉があります。元ネタはアリメカ大統領ベンジャミン•フランクリンの「time is money」で、訳すると時間=金というニュアンスになり、金も時間も等しく大切だから金ばっか追ってないで時間も大切にしろ!みたいな感じです。時間はお金で買えないから時間の方が貴重だっていう捉え方が日本では広がってる感じしますが元は時間=金の名言です。

まぁいずれにせよお金は労働という形で時間を削って作り出すことができますが、時間は生まれた瞬間から減る一方で金を払おうが1日も昨日方面には戻れません。給料制だと時給が低ければ1時間が1000円くらい、事業を起こし波に乗れば同じ1時間でも桁が変わるほどのお金になるらしく、なかには大谷翔平のような寝ても覚めても毎秒400円稼ぐ化け物みたいな会社員もいます。ここで言いたいのは1時間が作る金額は人それぞれ違うのに対し、みんな同じペースで年を取ることです。課金で今日が25時間になったり、昨日をもう1回プレイしてる人はいないでしょう。

けどぼくには時間が買えました。
それは健康な時間です。

健康な人は今の心身を前提に考えるはずです。だから「もしもっと時間があれば」みたいな話のとき、増えた時間を健康に過ごす、有意義な自分を想像するでしょう。時間が増えても地獄にいる時間が伸びるだけの人だって多くいます。

この間まで、僕の1日は24時間もありませんでした。重度のアトピー性皮膚炎です。朝起きて出社、眠気と戦いながら働き、家に帰れば真冬でも水のシャワーを浴び、身体中に薬を塗って布団に潜ったあとは痒みで眠れぬ夜を過ごします。疲れと眠気がかゆみを飛び越え気を失ったころ、血の滲むベットで目を覚まし会社へ向かいます。とにかく時間がありませんでした。

腫れ上がった体のわずかな良し悪しを見て、「昨日よりいい!」とか鏡の前で一喜一憂する毎日を過ごしていたある日、帰省中に家族が僕をみて驚き、大きな病院を受診することになりました。

拒食症の人が鏡に映る自分を見ても異常に気づかないみたいな話は何となく聞いたことがありましたが、まさか自分は大丈夫と言い聞かせていたぼくも、拒食症のそれと同じ状態だったとは気づきもしませんでした。そこからは簡単、高額ではありますが、町のかかりつけ医では出せない最新治療薬の服用が始まり、あれよあれよという間に僕の1日は24時間になりました。つまり「薬」を買うことで僕は莫大な時間を手にすることができたわけです。

考えてみれば、何かを「買う」こと自体が結局自分の時間を増やすためな感じがします。毎日の洗い物の時間を省くために洗濯機や食洗機、食べ物だって種や子牛から育ててる暇がないから金を出して即食えるものを買うし、テレビやゲームにしても空白の時間を楽しく彩る道具としてお金が落とされます。

残された時間の絶対値に変化はないものの、お金を出せば自分が自由にコントロールできる時間が増えるわけです。そしてその自由を手にするため僕らは働き、多くの時間を可視化できるお金に変えます。ここまでくるとなんかこう自転車操業のような気がしてきますが、凡人も金持ちもほとんどがこのループの中に囚われているんだと思います。

時間を割いて働き、得たお金で好きな時間を買う。資本主義では割いた時間に対して得るお金が多い人を富豪とか言いますが、全ての物の値段が決まっている以上、大富豪でも僕でも牛丼は500円です。お金は目に見えるし嘘もつきませんが、幸せを感じるとか何だとか人の感情に対しては無頓着です。大した役割を果たしてくれません。僕の場合、毎日のご飯と家、少々のサブスクに加え3ヶ月に1度病院へ健康を買いに行くとか、お金がしてくれるのはここまでです。それ以上必要ないと言う人もいるかもしれませんが、僕の生活には家族、友達、恋人など金が絡まない関係の人たちが欠かせません。とても難しく、単純です。

ぼくは営業職です。お金が主導権を握り、誰も本音を見せない笑顔の世界で働くうち、人々が価値を感じるものは、何か時間が関係していそうな気がしてきた所を文章にしてみました。気楽に、溺れず、明日もお金と時間を大事にしていきましょう。



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