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有栖川有栖先生と対談しました。

去る2023年3月19日(日曜)、いつもお世話になっている謎屋珈琲店さんの8周年イベントの一環として開催された、有栖川有栖トークライブ『ロジック、トリック、そしてプロット』にサポートパネリストとして登壇してきました。
対談後、参加者から「レジュメがあったら拝見したい」のようなご意見がございましたので、以下、個人的な備忘録も兼ねて、そもそもの対談の背景もふくめて書いておこうと思います。当然ながらすべては書ききれませんので、主要な部分、個人的に印象的だった部分のみとなりますが、ご了承ください。

はじめに


有栖川先生は2014年にも、当時はまだ金沢市本多町にあった石川県立図書館での講演会で来沢され(このときの模様は以下のブログに詳しいです。どなたが書いたかを存じあげないのですが、そのときの講演の内容がきわめて正確に整理されています。必読!)

僕や謎屋珈琲店オーナーの郷司さんが所属している読書会、金沢ミステリ俱楽部との交流会が、その2014年の講演の前後にあり、以来、金沢ミステリ俱楽部が毎年発行している会誌をお送りするなど、有栖川先生にはご連絡を取っていたのですが(そういえば数年前にはこんなことも……このあたり、トークライブの登壇者紹介で触れるのを完全に失念していました)

2020年、謎屋珈琲店さんの5周年イベントとして有栖川先生をお迎えする話になり、その前年、4周年のゲストが麻耶雄嵩先生で、麻耶先生のトークイベントが僕との対談形式だったので「今回もヤマギシさんとの対談のほうが、本格ミステリのディープな話が出るのでは」との流れになりました。
早速、有栖川先生に連絡を差しあげたところ、快諾。
では演題は、となったところで「ご提案があれば」と意見を求められ、そこで僕から内容を含めて提案したのが、このたびの『ロジック、トリック、そしてプロット』というわけです。

謎屋珈琲店8周年イベントポスター


レジュメ(事前の調整内容)


というわけで、まず、有栖川先生と事前に共有した内容を、一部手を加えて再構成したうえで、ご紹介します。

平石貴樹『潮首岬に郭公の鳴く』(光文社文庫)の有栖川先生の解説、拝読しました。そこでご紹介のあった平石先生のお言葉、

〈本格〉推理小説の目標はひたすら小説になること、これであり……
本格もののファンはトリックと種明かしだけを抜き出した問題集のような本をありがたがらないし……

に非常に感銘を受けました。
プロット、トリック、ロジック、こういったテーマで対談をセクションに分割すると面白いのでは……と考えていましたが、そのゴールはやはり「小説」であるべきかもしれません。

事前の打ち合わせより(要約)

有栖川先生といえばやはり「ロジック」でしょうから、ファンサービスも兼ね、冒頭はこれからいきましょう。
2014年にお話しさせていただいたとき、個人的に最も驚いた「どのようにロジックを書くか」について、具体的には「学生アリスシリーズの長篇をどのように書いたか」をお話しいただければ、皆さん喜ばれると思います。

事前の打ち合わせより(要約)

有栖川先生はまた優れたトリックメーカーでもありますので、「トリック」についてもまったく心配ないのですが……ちょうど先日、他の作家さんから「本格ミステリにおけるトリックとマジックにおけるトリックの共通項や違い」について訊ねられ、その回答をまとめたものがありますので、(僕の私見に過ぎませんが)お送りしておきます。
「ヤマギシさんの創作法や考えかたについても聞かせてください」ともありましたので、当日の流れによっては、この内容について意見を戦わせるのも面白いかもしれません。

事前の打ち合わせより(要約)

プロットについて、その本質は「いかに語るか」だと思うのですが、ロジックやトリックに比べて、プロットが本質論や抽象論になりがちなのは、結局『小説とはなにか』『物語とはなにか』を問うていることになるからではないでしょうか。

「小説とはなにか」は意外と単純で、「散文によって書かれた物語」の定義が最も簡素でかつ最も対象が広いと思いますが、この「物語とはなにか」が難問です。
たとえば「宇宙の誕生」「天体の運動」などはたしかに一種の「物語」ですが、これを擬人化したものがギリシャ神話であるように、仮に『物語度』とでも呼ぶべき尺度を持ちこむなら『人間の営みを描いたもの』のほうが「物語度が高い」と言えそうです。
『歴史』は「人間の営み」そのものですが、「歴史の教科書」と「歴史小説」を比べると後者のほうが「物語度が高い」はずで、つまり「前者にはなく後者にあるもの」こそ『小説の核』と言えそうですが……

とまれ定義論や本質論は無味乾燥になりやすいので、このあたりをできるだけ堅苦しくならないように、お話しできればと思っています。

事前の打ち合わせより(要約)


講演内容(要約および補足)


有栖川先生のお好きな音楽に喩えるならば、上記のレジュメは「コード譜」のようなもので、講演当日はこの和音コード進行プログレツシヨンのうえで即興演奏インプロヴイゼイシヨンをしたわけですが……

ロジックについて

まずは予定どおり、ロジックについて、まずは『月光ゲーム』の執筆経緯からお話しいただきました。大人数の初対面が集うシチュエーション、ダイイングメッセージのために露出した土が必要……などの要件から、山、キャンプ場が選ばれたとのこと。
次に『孤島パズル』。一作目が山なら二作目は海、冒険要素を採り入れたい、移動手段として自転車が必要だ……
そして『双頭の悪魔』。芸術家が集う村にふさわしい事件はなにか、そうだ、学生時代に書いた「ピアノ弾き」のフーダニットが使えるな……
「スイス時計の謎」。題名を先行して決めた、当然時計がどうにかなるはずだ、月並みだが「被害者の腕時計が持ち去られている」状況について徹底的に考えぬいてみよう……

というように(僕なりの補足を雑ぜての説明ですが)、『まず魅力的な舞台をつくれば、その作品舞台ならではの物品や状況がうまれるので、それを素材としてロジックを組みたてる』ということのようです。
音楽の世界でも、作曲が先行する場合(曲先きよくせん)と、詞が先行する場合(詞先うたせん)がありますが、あまりにその論理メロデイが美しいので、有栖川先生は曲先かなと思いこんでいたら、なんと物語リリツクが先だった……と2014年当時の僕は非常に驚いたのでした。

「その舞台ならではの物品や状況でロジックを組み立てることができれば、そのロジックは既視感のない唯一無二のものになる」のだろうな、と再認識しました。

イベント会場の様子


トリックについて

さて、ここで本来はトリックに話題を転じるはずでしたが、このタイミングでご紹介したのが、先述した平石貴樹『潮首岬に郭公の鳴く』でした。

〈本格〉推理小説の目標はひたすら小説になること

平石貴樹『潮首岬に郭公の鳴く』解説より(平石貴樹『一丁目一番地の謎』よりの孫引き)

有栖川先生の言葉に「本当にロジック(そのもの)が面白いなら、みんな数学の証明問題が好きなはずだ」というものがあったと思いますが(※出典が見つかりませんでした)、ロジックやトリックもまた「物語になりたい」のでしょうねん。

本格もののファンはトリックと種明かしだけを抜き出した問題集のような本をありがたがらない

平石貴樹『潮首岬に郭公の鳴く』解説より(平石貴樹『一丁目一番地の謎』よりの孫引き)

(※誤解を避けるために補足。上記それぞれの引用は、平石貴樹『潮首岬に郭公の鳴く』の有栖川先生の解説内にある文章ですが、いずれも平石貴樹『一丁目一番地の謎』よりの引用であり、つまり、平石貴樹さんご本人の発言です。社会派全盛、所謂〈本格ミステリ冬の時代〉である八〇年代に本格ミステリが「論じられた」類を見ない文献であり、有栖川先生はこの平石貴樹さんの文章を「オーパーツ」である……と講演で強調されていました)


と、ここで、話題が、所謂「ミステリ・クイズ本」(昭和中期に散見された、ミステリの真相をクイズ形式にしてまとめたもの)の方向に。
有栖川先生曰く(あれは)『麻薬』ということで、モラルの問題があるにもかかわらず惹かれる存在であるわけですが(事実、講演会の後、書名を教えてほしいというかたが数名いらっしゃいました)、大切なのはこのあとで、続けて曰く『ああいった本で有名ミステリのネタを先に知った人はみんな、口を揃えて「小説で読みたかった」と言いますね』と。

このあたりの話題が膨らんで、トリックについてはあまり具体的な話にならなかったのですが、ロジックと比較しての話題としては『(作品舞台をつくったあとにそのなかでロジックを作るが)トリックはまずそれを思いついたあとにそれが映えるように作品舞台を膨らませる』といった話がありました。
つまり、トリックとロジックでは、創作上は、作品舞台に対するベクトルが真逆というわけです。

イベント会場の様子


プロットについて

というわけで『有名ミステリのネタを先に知った人はみんな、口を揃えて「小説で読みたかった」と言いますね』の一言から、

『プロット本格とはなにか。実は鮎川哲也がそうなんです』

と話題にのぼったのが、佐賀ミステリ倶楽部の会誌『雨中のとぎです。
薗田竜之介さんというかたが鮎川哲也の評論を連載しており、その論に『鮎川哲也のアリバイ崩し作品で、最初から犯人がわかっているものはひとつもない』とあるらしく、これまでに『黒い白鳥』『人それを情死と呼ぶ』などが採りあげられているとのことです。


ちょうど先日、『有栖の乱読』で言及されていた『人それを情死と呼ぶ』を再読したところだったので「この作品もギリギリまでフーダニットの興趣が尽きない作品で……」と言ったところ、『最初に手に取ったときは、松本清張が描いたテーマを、なぜ、いまさら鮎川哲也が……と思ったが、読み進むにつれ、たちまち不明を恥じた。あのテーマに対して考え得ることを総て網羅し、そのうえでそのカードを切る順番やタイミングをコントロールすることで、事件の様相や容疑者を二転三転させて……『人それを情死と呼ぶ』は奇蹟のようなプロットです』と夢を見るようにうっとりと語った、有栖川先生の声のトーンがいまでも印象的です。


そして、先述のレジュメのとおりの説明を経たうえで「歴史の教科書と歴史小説は、なにが違うか」の質問をぶつけたのですが、この回答がふるっていました。

曰く『科学(歴史学)や教科書は真実を保証しなければならないが、小説にその義務はない。かわりに面白さは保証しなければならない』

まさしく慧眼であり、これだけでもふるえたのですが、畳みかけるように披露された《ハリウッド版「桃太郎」》は、まぎれもなくこの対談のハイライトでした。
通常の「桃太郎」は、『むかしむかしあるところに……』と主人公の生誕以前から物語が時系列に説明されますが、より技巧的なプロットが理解できる《大人向け》の一例を創ってみると……

冒頭、いきなり主人公と犬(ケルベロスのような狂犬)がエンカウント。死闘の果てに犬が一言。
「あんた、普通の人間じゃねえな」
回想がはじまり、桃太郎の生誕の様子が語られる。

トークライブより(筆者による要約)

同様に、猿、きじと戦い、家来に従え、鬼ヶ島で最終決戦。強大な鬼の前に全員が地面にたおれ、瀕死に。万事休すかと思われた瞬間、ここまでの旅路や回想のなかに起死回生の一手を発見。見事、鬼の弱点を突き、見事な勝利を収め、美しいシーンと共にエンディングテーマが流れ出す……
上記は凡庸な要約に過ぎず、実際に有栖川先生から語られた内容は、その語り口の巧さもあいまって、この日一番の盛りあがりとなりました。

他にも『犬視点、猿視点、あるいは鬼視点の「桃太郎」もあるでしょう。視点のみならず、(回想を含めた)「カード」をどの順に切るか、どのカードを強調するかが、作家の腕の見せ所』といったお話もあったかと思います。
「(ひとつの事実ストーリーから)面白い物語プロツトは無数に生まれうる」わけですね。

(※私見を交えての補足ですが、複雑な物語構造は所謂〈口承文学〉には向かないため、原初的な「物語」では時間の経過どおりに「タイムライン=ストーリー」として語られるわけですね。「プロット」について構えて考えてしまうと「時系列のシャッフルや場面や視点の移動」が必須であるかのように思いかねませんが、シンプルな「タイムライン=ストーリー」もまた、ひとつの立派なプロットのかたちなのです)

***

「ロジックやトリックのない本格ミステリ(たとえば操作も推理もなく物語が進み、結末で犯人が自白、それによって意外な真相が明らかになる)は存在するが、プロットのない本格ミステリはないと思うのですが……」の質問に対する『花火大会』の喩えもまた、秀逸でした。

曰く『花火大会において、ロジックやトリックは「花火そのもの」で、子供の頃はそれが目的である。大人になると、花火大会の楽しみは「誰と行くか」などに広がる。たとえば、それがデートなら、なにを着るか(相手が浴衣ならこちらも浴衣かな、とか)、どこで待ち合わせるか(明るいうちにカフェで待ち合わせてなにか食べようか、現地に行けば夜店もあるだろう)、どこから見るか、そういったことを愉しむようになる』

また『ミステリの三大要素は「謎・推理(捜査)・解決」だが、私にとって最も大事なのは「謎」』というお話もあったと思います。
ミステリのプロットとは「謎を面白く書くためにある」のでしょうし、おそらく有栖川先生には「物語とは面白くあるべき」との強い信念があり、このシンプルがゆえに強靭な価値観こそが、有栖川作品の原動力なのだなと痛感した次第です。



質疑応答(一部のみの紹介)


今回はお申込みの段階で事前に質問を募集し(有栖川先生にも事前にお渡ししました)、それらを対談に盛りこむつもりだったのですが、時間配分がうまくいかず、最後にまとめて、簡素なお答えに終始するかたちとなってしまいました。

「望月周平の秘かな旅」が、江神シリーズの短篇集に収録される日は来ますか?

きます。そのつもりです。

綾辻先生はPUI PUI モルカーがお好きですが、有栖川先生もご自宅にぬいぐるみやキャラクターはありますか?

ない……と思っていたけれど、しばらく前に買ったニトリのクッションが触り心地が良く、気づいたら触っています。
(「ニトリ クッション 猫」で検索するとたぶん見つかります……とのことで調べました。こちらの商品 https://www.nitori-net.jp/ec/product/5785095s/ で間違いないとのことです)

火村先生とアリス先生は34才ですが、この年令に思い入れはありますか?

一般的に仕事の充実度や可能性が広がってくる年頃で、かといって若さや瑞々しさが失われておらず、色々なことが描きやすい。そういった意味で便利な年令で、この設定にしておいてよかったなといまでも思います。

先生の作品と出会って20年以上が過ぎ、火村先生とアリス先生の年齢を超えてしまいました。有栖川先生はお二人と年齢が離れていくことに対して気持ちの変化はありますか?

作家は、作品を、この世に置いていける。彼らをこの世界に産みだして本当に良かった、という気持ちは年々増しているように思います。



さいごに(お礼とお詫び)

有栖川先生からは事前に「対談相手がヤマギシさんなので、突っ込んだ話もできるし、普段と違った話、普段は話せない話になると期待しています」のようなことをおっしゃっていただいていたのですが、対談後「おかげでいつもと違う色々なお話ができました」とのことで、このあたりはご期待にそえることができたようで、ほっと胸を撫でおろしています。
ひとつの事実からプロットは無数に展開でき、ひとつの和音進行のうえで様々なメロディが奏でられますが、ライブの醍醐味である「そのときだけ」の雰囲気をお愉しみいただいたのであれば、それに勝る喜びはありません。

謎屋珈琲店のイベントは実に3年振り、そして初の外部会場だったのですが、事前説明された開場時刻と実際のそれが異なっていた(主催者側の我々も困惑したし憤りました)、19日の音響設備に難があった(18日と19日で使用した部屋が違ったため気づくのが遅れました)、そもそものタイムテーブルに無理があった等、主として運営面での不手際が多く、参加者の皆様にストレスのあるイベントになってしまったことを、主催者側のひとりとして、ここにお詫びします。
同時開催された犯人当てイベント『謎屋deフーダニット』は、最初は僕の持ち込みの企画で、最初のうちは十数名程度の規模だったものが、vol.3から謎屋珈琲店の周年イベントに昇格、前回までは30名が満席だったものが、今回は延べ100名ほどの参加者にお越しいただきました。嬉しい反面、最初期の少人数に最適化されたフォーマット(寸劇形式など)を継承していることでもデメリット(身内感など)も多々感じられるようになりました。
トークライブ、フーダニットともに非常にアンケート提出率が良く、また、「ポジション・フィードバックはSNSに、ネガティブ・フィードバックはアンケートに」の案内に倣っていただき、本当にありがとうございました。
貴重なご意見の数々、必ずや参考にさせていただきます。

あらためまして、当日は、非常に大勢のお客様に、しかも全国からお集まりいただき、本当にありがとうございました。

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