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生産性向上は意味がない「意味創出の時代」

生産性という言葉が嫌いです。

人間の仕事の質を生産性で測るということは、その前提として、同じリソースでより多くのものを生産できれば価値があるという考えが存在します。

確かに、過去には多くのものを作り出すことに価値がありました。しかし、現代は物やサービスが豊富で、日本を始めとする多くの先進国では、基本的な物質的要求が充足されています。

しかし、さらなる経済成長のために追加で資源や時間を投入し、一つでも多くの物やサービスを作り出し、それをなんとか売ろうとします。当然、競争は厳しくなり、より安く、より多くというプレッシャーが強まります。

でももう消費者はお腹いっぱいなのです。

一方で、生活に必要な基本的な物質的要求が満たされていない人々がこの地球にはたくさんいます。

私たちが無理やり喉に詰め込まれるモノやサービスは、同じ地球の別の場所では、誰かが生きるために渇望している資源から作られているのです。

いくら生産しても幸せになれない

人間は誰しも幸せになりたいし、豊かに暮らしたいと思っています。

もし今よりモノが増え、サービスが充実することによって私たちの生活が豊かになるのであれば、さらなる経済成長が必要となるでしょう。

しかし、本当は必要とされていないモノやサービスを生み出し続け、必要とされていないものを必要と錯覚させるために働く。それでもなお、モノが売れず賃金が上がらない。そんな状況が幸せや豊かといえるのでしょうか。

資源をいくら投入しても私たちが十分幸せになっていないことは、多くの人が日々感じていることではないでしょうか。

幸せになるためには、 どうやら別の何かが必要のようです。

誰かを幸せにできないなら生産する必要がない

仕事とは何かを突き詰めていけば、「誰かを幸せにすること」に行き着くと思います。これは逆説的に言えば、「誰かを幸せにできないなら仕事になっていない」ということを意味します。

生産を増やすことで誰かを幸せにできていないのに、生産性にこだわるというのは、課題設定の前提がそもそも間違っている…というくらいの大きな錯誤です。

にもかかわらず、日本での一般的な働き方は、「この時間働いたらこれだけの報酬を上げるよ。この時間内でもっとたくさんモノやサービスを作ってくれたらもっと評価するよ」という基本原理を脱却できておらず、仮に生産性が上がっても、そもそも需要が存在せず、利益が生まれないことで、従業員も評価(待遇向上)されないということが起こります。

あなたの会社の経営者からこんな言葉を聞いたことはありませんでしょうか?

「儲かるならなんでもいい」

これは、仮に生産性が向上しても利益に繋げられない会社の経営者が言い勝ちな言葉です。

これが、「誰かを(自分たちの仕事で)幸せにできるならなんでもいい」

としたらよっぽど、何をすべきかをみんなで明確に考えられるだろうにと思います。

「意味」にフォーカスした働き方へのシフト

生産性という言葉は、人間を機械の部品のように働かせる時代の名残です。しかし、すでに述べたように、現代は、モノやサービスを効率よく生み出すだけでは意味がなくなり、誰かを幸せにできなければ評価されない時代になりました。

今努力すべきは、生産性向上でも効率アップでもなく、意味の創出です。

ムダなモノやサービスの循環のプロセスから脱却し、ひとりひとりが、誰かの幸せのために働けば、社会はまだまだ豊かになると信じています。

人間、誰しもがクリエイティブなんです。

みんなで「意味」にフォーカスした働き方へのシフトを実現して、働く喜びを取り戻したいと思います。

「役に立つ」より「意味がある」

最後に、これまで述べたようなコンセプトをずっと言語化できずにモヤモヤしていた私に、気づきを与えてくれたのが、独立研究者、著作家、パブリックスピーカーである山口 周さんの以下の著作や記事です。

これらに記されている「役に立つ」より「意味がある」が重要となるという指摘は、もはや課題設定を大きく間違える余裕のない日本の企業や組織、そして私たち個人に至るまで、今しっかりと向き合うべきテーマだと思います。

少なくとも人間を部品のように扱っている場合ではないのです。

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