#037 「役に立つ」から「意味がある」への価値シフト

記事タイトルにある『「役に立つ」から「意味がある」』という提言を最初に明確な形で提出したのは、2019年に上梓した著書「ニュータイプの時代」においてでした。思い出してみれば、このアイデア、仕事をサボって夕方にバーにいった時に「なんでバーの酒類はこんなにあるんだ?」という問いに答えを出そうとして思いついたんですけど、その話はまた別のタイミングで。

「役に立つ」と「意味がある」

このメッセージはいろんな人の思考を刺激(撹乱?)したようで、少なくない数の企業から

あなたが言っている「役に立つ」から「意味がある」へのシフトについて、本を読んだんだけど、なんとなくわかるようで、やっぱりよくわからない。ということで、もう少し踏み込んで話をしてもらえないか?

というご依頼を頂きまして、こちらも商売ですから「ギャラ次第ですね」とお答えしたところ、のけぞるような金額をご提示いただいたことがあり、金額なりのことはお話ししないといけないなあと思って、あらためて色々と考え直してみたところ、本を書いている時には気づかなかったことが明らかになったりしまして、せっかくなのでNOTEの記事として共有してみようと思います。

まず、あらためて確認すれば、なんらかのモノが売れる時、そのモノは「役に立つ」か「意味がある」か、どちらかの価値が必ず備わっています。

ここでマトリックスを使って考えてみましょう。「役に立つ」を縦軸に、「意味がある」を横軸に置くと、4つの象限ができます。このとき、最も高い値段で売れるのはなんだと思いますか?

普通に考えてみれば「役に立つ」と「意味がある」の二つの価値を持っている「象限4」が最も高い値段で売れそうですが、では実際にどうか?いくつかの産業で見てみましょう。

高く売れるのは「意味がある」

まず自動車です。

我が国のトヨタや日産が販売している車種のほとんどが「1の象限=役に立つけど意味はない」に含まれることになります。この象限の自動車は主に「快適で安全な移動手段という便益」を提供しているだけで、特に「自分の人生にとっての意味合い」などは提供価値に含まれていません。つまり、この象限に属する自動車は主に「移動手段として役に立つ」という機能価値によって売れている、ということです。

次に、ドイツのBMWやメルセデス・ベンツが販売している車種のほとんどが「3の象限=役に立つ上に意味もある」に含まれることになります。この象限に含まれる自動車は、もちろん「快適で安全な移動手段」という物性価値も提供しているわけですが、それだけでは国産車との数百万円の価格差を合理化することはできません。

これらの自動車は、購入する人に対して「快適に移動する」という物性価値に加えて「BMWに乗るという意味」や「ベンツに乗るという意味」という感性価値も合わせて提供しており、購買者はその「意味」に数百万円の対価を払っているということになります。

最後に、イタリアのフェラーリやランボルギーニなどの超高級車、いわゆる「スーパーカー」と呼ばれる車種のほとんどが「4の象限=役に立たないけど意味はある」に含まれることになります。こういったスーパーカーの多くは数百馬力のエンジンを搭載しているにも関わらず、大概は二人しか乗れません。また荷物もほとんど詰めず、車高が低いために悪路も苦手です。

つまり「快適で効率的な移動手段」という側面からはまったく評価できない、ただ単に爆音を発して突進するというだけのシロモノです。しかし、であるにも関わらず、あるいはだからこそというべきか、こういった「役に立たない」自動車に数千万円、あるいは億単位のお金を払っても欲しがる人が後を絶ちません。つまり、こういうクルマを購入する人にとっては「唯一無二の意味」を与えてくれる存在なのです。

さて、ここで改めて考えてみなければならないのは、象限別の価格水準です。あらためて確認すれば

「1の象限」に含まれる国産車の価格帯が百万円〜三百万円
「3の象限」に含まれるドイツ車の価格帯が五百万円〜二千万円、
「4の象限」に含まれるスーパーカーの価格帯が三千万円〜1億円以上

ということになり、明確に前者よりも後者に大きな経済的価値が認められていることがわかります。これを端的にいえば、現在の市場においては「役に立つ」ことよりも「意味がある」ことに経済的価値が認められているということです。

自動車についてはわかった。では他の市場ではどうでしょうか。

ここで例に挙げたのは音響機器、カメラ、暖房器具といった市場ですが、ここでも、その市場において最も高機能で役に立つものが、最も低い価格でコモディティ化に抗いながらレッドオーシャンを戦っていることがわかります。自動車と同じですね。

経済学者のいう「勝者総取り」は一面的な見方

昨今では、よく「勝者総取り」ということが経済学者からも言われますが、これは一面の真実ではあるものの、市場の全体に起きていることを説明できていないと思います。

確かに「役に立つ」の市場では勝者総取りのスケール争いが血で血を洗うレッドオーシャンを生み出していますが、「意味がある」の市場においてはむしろ価値観の多様化が起きており、スモールサイズのビジネスが共存共栄する状況が生まれているのです。

なぜこういうことが起きるかというと、理由はシンプルで「役に立つものは一つあればいい」からです。最近話題に登ることが多いChatGPT関連の用語を使って表現すれば「効果関数が発散せず、収斂してしまうから」ということになります。これはとても重要なポイントで、人工知能は、この縦軸を上に伸ばすのが非常に得意なのです。この点についてはあらためて触れます。

だから上位寡占度の高い市場を見てみると、その市場で取り扱われている商材は「役に立つもの」がほとんどです。例えばICチップなどが典型でしょう。ICチップの評価は極めて単純にコストと計算能力で決定されます。

要するに「役に立ち」の市場で戦えば、コストパフォーマンスで見た時に一番役に立つモノが市場で圧倒的な勝者となり、その他は市場に存在することをそもそも許されない、二番手、三番手に甘んじることさえ許されない市場だということです。

典型例が検索エンジンでしょう。検索エンジンはまさに「役に立つけど、意味はない」という市場を代表するサービスです。人が検索エンジンに求めているのは「スジの良い検索結果」だけであって、そこに意味が介在する余地はほとんどありません。

しかも、提供している財は情報なので国境をまたいだ移動にもほとんどコストがかかりません。かつてアルタヴィスタ、ヤフー、エキサイト、ライコス・・・といった検索エンジンが市場に存在したわけですが、現在ではどうして、グーグル一社だけになってしまったのか?理由は明白で、検索エンジンというサービスが「役に立つ」の市場で戦っており、かてて加えて指摘すれば、彼らのサービスが、物質の移動を伴わない、純粋な情報サービスだからです。

GAFAがなぜ世界的な独占企業になったかというと、少なくともアップルを除く残りの三社、すなわちGoogle、Facebook、Amazonについては、「役に立つ」の市場において、主に情報を商材として取り扱っているというのが大きな理由だと思います。このような市場において、サブスケールな立場、しかも日本語を母国語にしている人たちが戦いを挑めば、非常に厳しいものになるのは目に見えてます。

日本でも以前、グーグルを超える検索エンジンをつくる、という掛け声のもと、経済産業省主導でプロジェクトが組まれたことがありますが、こういった市場のメカニズムを理解している人間からすれば、関係者の方には大変申し訳ありませんが「ドンキホーテ的に滑稽な取り組み」だったと言わざるを得ません。

「意味がある」の市場は多様化・分散化が起きる

これまで考察してきたように「役に立つ」の市場では勝者総取りが発生します。一方で「意味がある」市場では多様化・分散化が起きます。これを身近でわかりやすく示しているのがコンビニエンスストア(以下CVS)の棚です。皆さんもご存知の通り、CVSの棚は極めて厳密に管理されており、棚に置いてもらうことは簡単なことではありません。だからハサミやホチキスなどの文房具はほとんど一種類しか置かれていません。しかしそれで顧客が文句を言うことはありません。なぜなら「役に立つものは一つあればいい」からです。

一方で、そのように厳しい棚管理がなされているCVSにおいて、一品目で百種類以上取り揃えられている商品があるのですが、なんだかわかりますか?

タバコです。ハサミやホチキスは一種類しか置かれていない一方で、タバコは百種類以上が置かれている。なぜかと言うと、タバコを吸う人にとって、自分の好みの銘柄は他の銘柄で代替できないからです。

これが「役に立つ」と「意味がある」の市場特性の違いです。ハサミやホチキスなどの文房具は「役に立つ」という市場に生息しています。つまり評価関数が収斂する市場で戦っており、したがって売上一位の商品をおいておけば誰も文句は言わず、それを買ってくれる。

一方でタバコは「意味がある」という市場に棲息しています。この市場では評価関数は顧客それぞれによって変化し、収斂することがありません。いやむしろ自動販売機が主流だった時代から比較すれば、むしろ多様性は高まっていると言えるでしょう。だからかつての時代よりも銘柄が増えていますよね。収斂の真逆、つまり発散が起きてるわけです。

このような二極分化が進行する世界において、全ての企業は「役に立つ」という市場において、生き残りをかけて熾烈な戦いに身を投じるか、「意味がある」という市場で独自のポジションを築いていくかという選択を迫られることになります。

この二つのうち、どちらを選ぶかはなかなか難しい問題ですが、ただ一つだけ指摘できるのは、従来の定石に囚われすぎてしまい、深く考えることもなく「役に立つ」市場でスケールを目指そうとするのは、間違いなくオールドタイプの思考様式だということです。

なぜなら、グローバル化が進めば進むほど「役に立つ」市場の頂上は「高く、狭く」なり、ごくごく少数の「グローバル勝ち組企業」以外は生き残ることができない「マッカッカのレッドオーシャン」になるからです。

どうやって「意味のイノベーション」を起こすか?

価値創出の観点からも、また競争戦略の観点からも、これからは「意味がある」というポジションを目指すことが大きな選択肢になることが理解いただけたと思います。では、どのようにして、私たちは「意味」を生み出すことができるのでしょうか?

ここで「意味のイノベーション」ということについて考えてみたいと思います。イノベーションというのは「価値が非連続に高まる」ことを意味します。ここでいう「価値」の認識は顧客のこころの中で発生するものですから、イノベーションを字義通りに解釈すれば、これは「顧客のこころの中で起きる現象だ」ということになります。

さて、顧客が感じる価値が非連続に高まるということであれば、イノベーションは何も技術的な飛躍、すなわち「役に立つのレベルが非連続に高まること」にとどまらず、「意味があるのレベルが非連続に高まること」によっても可能だということになります。つまり、イノベーションには「役に立つのレベルが非連続に高まる=テクニカルイノベーション」の他に「意味があるのレベルが非連続に高まる=意味のイノベーション」もまたありうるのだということです。

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