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望むらくは貴女の手を

 壊れてしまったものはもう取り戻せない。散ってしまったものの容姿は今も忘れたまま。欠けた月も愛想をつかして、そして不満の二文字が胸を一杯にする。
 もうなん十通にもなる空の手紙も、やっぱり心地が良いものだ。寂しい手慰み、ものしがそれだけで充足した、欠けたることのない望月なのだ。
美しいものを美しいと思うこと、忘れてしまったことにふたをすること、二度と帰らぬ日々に手を合わすこと、そのどれもが私の人生には望月だった。与えられたものを、最後まで貪ろうとする、人生の性であった。

 若くして亡くなったカートに想いを馳せていた。
 時刻は午前の十時を回った。
 書斎のような、宛先に困った手紙ばかりが積みあがった、季節外れに薄寒い、本勝手の軒先。鴉がしょっちゅうやってくるのだ。不思議に緑色の深いこの空間と世界の間の時間にたじろいだ。涙は枯れるほど。
 同じ悲しみなどないとわかっている。それでもここに鷹がやってくれば、テルーの唄の完成だ。鷹のようなこの心。それは、それは遠い夏の日。淡い恋というものが私を蝕んだ。
 二筋の涙が胸一杯に膨れ上がる。このまま左右に広げれば翼になって飛んで行ける。そうなればやっぱりテルーの唄だ。一人行く悲しさを、よく知っている。
 全く何が好きなのだか、よくわからない。でもよく確信した貴女の存在は、やっぱり奇麗だった。愛だった。胸一杯の痛みは愛だった。

 その辺をほっつき歩いていた。
空になったシガレットケースに何をおめかしするのがいいか、日ごろの楽しみといえばそればかりだった。
 それだけで楽しかった日々をよく思い出した。それだけでよかったのに。
望んでしまうことは人間の最たる弱みではないかと、再三にわたって疑義を心に打ち立てども、そのマスクを食い破る破壊力には何の生気も感じられない。ただ泡になった日常に身を焦がすように、溶けだした。
 結局おめかしはセブンスターになってしまった。可もなく不可もない、無難な選択肢。少し甘い煙は心を和らげるのに十分だった。
 貴女がいてくれたならシガレットケースも貴女で一杯にしたのに。
 セブンスターは少しほろ苦いような気がした。

 わんわん泣いた。もう何もかも忘れて楽になりたいと切に願った。どうせまた、新しいレコードを担ぎこんで、「今宵もマネスキンの時代よ、踊れ、歯切れのない日常に、賛美を、どうか救いを、望むらくは貴女の手を」と喚くのだ。
 悪魔の踊り方を理解する気持ち、それがどんなものだか、よくわからなかったが、しかし売り払うなら最上のものを、と思っていたのに、このザマと来た。
 また泣いた。わんさか喚いた。
 するとケータイに着信があった。幼馴染の木村だった。

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