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#今日の学び No.80「無知は罪なり、知は空虚なり②」

どうもAnbyです。そういえばもうすぐクリスマスですね。街ではイルミネーションがキラキラしていて盛り上がっているようです。ふと思い出したのですが、我が母校である高校では毎年年末になると校門付近がイルミネーションで飾られていました。なんか伝統っぽいものでしたが、下校する時はそれなりに綺麗なので良いなとは思っていましたね。いやぁ懐かしや。

というわけで、今回の内容なのですが、前回の続きになります。タイトルは少し変えたのですが、「無知は罪なり、知は空虚なり」ですね。これについて今日は少し掘り下げていきたいと思います!では参りましょう!

1.(続)無知は罪なり

前回は時間の都合上途中で終わったので、この続きから入らせてもらおうと思います。

前回の記事は上に貼っているので、まだお読みでない方は是非参考までに読んでもらいたいのですが、前回は「知らないこと」が「罪」であると実感した経験を基にお話ししましたね。

私は「無知は罪なり」を実感した後に、色々調べてみました。Googleは勿論、Youtubeでも検索したりしてみた結果、重大なことに気づいたのです。

私たちは洗脳されている?

これですね。色々調べた結果辿り着いた結論なのですが、これを主張している人は結構います。一部の過激な人は、それが国の陰謀だとか主張していますが、私はそこまで話が飛躍しないとは思っていますので安心してください。別に反政府的な思考を持っているわけではありません。

ただ、私たちは日常的に洗脳を受けている、というのは1つの事実として受け入れるべきだと思います。ここで強く主張したいのは、そのような洗脳から自分を守る手段を身に着けなければならない、ということです。

いやいや、洗脳されているなんて大げさな…と思う人もいることでしょう。それは「知らない」から、あるいは「知らないと思いたい」からです。知らず知らずのうちに受けているものこそ洗脳と呼べるのでしょうから、認識できるほど分かりやすい洗脳にはひっかからないのは当たり前です。あるいは知ることを恐れてわざと目を背けている場合も考えられます。これが一番安全なように見えて実は結果的には不幸な道を歩んでいることになります。自分の頭で考えずに盲目的でいるのは危険であるのは想像できませんか?

2.知は空虚なり

無知は罪なり、知は空虚なり

前回の記事で紹介しました「無知は罪なり」には続きがあります。それが「知は空虚なり」です。

無知は罪なり、に比べたらちょっと理解しづらい言葉ですよね。

ところで皆さん、苫米地英人という人物を知っていますか?「洗脳」といえば、この人物が有名なようです。彼の書籍である「現代洗脳のカラクリ」は、現代の洗脳事情を赤裸々に語っています。その本を分かりやすく紹介した記事がありますので、下に参考として貼っておきますね。

皆さん、「洗脳」の定義とはなんだと思いますか?これについて辞書に載っているような広義的な意味での「洗脳」を使うのでは不十分であると苫米地氏は主張しています。本では以下のように語られています。

試しに広辞苑を開いてみると「新しい思想を繰り返し教え込んで、それまでの思想を改めさせること」と説明されています。
大辞泉によれば「1.共産主義社会における思想改造。2.その人の主義や思想を根本的に改めさせること」となっています。
しかし、実際の洗脳はこんなものではありません。
広義で言えば、「情報によって意図的に他人を操作」できれば、それすなわち洗脳行為であり、実はこんなことは誰もが日常茶飯やっていることなのです。
(中略)
とはいえ、そうなってしまうと、人間の活動のほとんどすべてが洗脳、あるいは洗脳と関わりあることになってしまいます。
ですから、洗脳は広義ではなく、狭義で、しっかり正確に定義する必要があります。
実はすでに15年前、「洗脳原論」の中で私は洗脳を狭義で定義しているのですが、まったく理解されていないようなので、改めてここに記しておきましょう。
「本人以外の第三者の利益のために意図的に情報操作を加えること」
これが洗脳の正確な定義になります。

因みに、「洗脳原論」は彼の「現代洗脳のからくり」の前の著書です。

皆さんが「洗脳」と言われて想像したのは広義的な意味ではありませんか?それで考えると確かに彼の主張通り、日常生活のほぼすべてが洗脳行為にあたります。かの有名なホリエモン氏が書いた「すべての教育は「洗脳」である」という書籍がありますが、彼の使っている「洗脳」はこの広義的な意味での「洗脳」なのでしょう。

しかし苫米地氏はもっと正確な、すなわち狭義的な意味での「洗脳」を使うべきだと主張しています。その意味が「本人以外の第三者の利益のために意図的に情報操作を加えること」である、ということですね。

つまり、本人の利益になるのであれば、それは「洗脳」ではない、ということになります。したがって、個人的には教育に関しては洗脳ではないと思っています。教育とはつまり将来生きていくためのものですから、それは本人のために行っている行為ということになるのでしょう。

ここまで、理解した上でもう一度「無知は罪なり、知は空虚なり」を考えてみましょう。

といったところで、明日に続きます…ここまでお読みいただきありがとうございました!明日の記事もお楽しみに!ではまた!!

第83号

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