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翻弄される里子。そして里親の哀しみ ・・・その後

さっちゃんの里親である杉本君からLINEが届いた。

Beさん。昨日さっちゃんを連れて、実母さんの住む〇〇県の〇〇市に行って来ましてん。月に1度の面会日です。
実母さんは娘を手元に引き取りたい、という意向をいまだに持ってはるんですけど、こちらの児童相談所は「今の母親の状態では、さっちゃんを母親のもとに移すという判断はとてもじゃないができない」と言ってくれてます。
児相の職員さんからも「さっちゃんが成人するまで杉本さんの教会で養育してもらいたい」と言われてますねん。
ただし、そうするためにも親権者である実母さんの同意が必要なんですわ。もしも同意が取れず実母さんが法的手段に出た場合は、地元の児童相談所が全面的に争って下さるらしいです。児相がそこまで頑張ってくれはるのがめちゃ嬉しいです。
でも児相としては、仮に実母さんが法的手段に出て裁判になったら、司法に最終的な判断を委ねてしまうことになるので、そうならんように気長に実母さんの同意が取れるように説得してくれはるらしいです。
ほんまに有難いです。ひとまず急に離ればなれにはならんと思うので、いつもより気持ち的に落ち着いてます。
私たち夫婦だけやのうて、多くのお道の皆さんに祈っていただいて、何か大きな力でゆっくりといい方向に動き出した気がしてますねん。あとは親神様に凭れて、毎日を陽気に過ごして行きます。
まずは報告まで!

という嬉しい内容だった。
それは杉本夫妻の人柄に最大級の信をおく児童相談所が、さっちゃんの将来にとっての最善を見極めた上で出した結論なのだろう。
さっちゃんと杉本夫妻のために祈ってくださった皆さんに、心から感謝申し上げます。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』86の「大きなたすけ」に

金が何んぼあっても、又、米倉に米を何んぼ積み上げていても、直ぐには子供に与えられん。人の子を預かって育ててやる程の大きなたすけはない。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』86

という、教祖のお言葉がある。
このお言葉は教内で里親をされている方にとって大きな勇気を与えていると想像する。
しかしこの逸話の真骨頂は、この後に続く

この時、シナは、「よく分かりました。けれども、私は、もう乳が出ないようになっておりますが、それでもお世話出来ましょうか。」と、押して伺うと、教祖(おやさま)は、
「世話さしてもらうという真実の心さえ持っていたら、与えは神の自由で、どんなにでも神が働く。案じることは要らんで。」
とのお言葉である。これを承って、シナは、神様におもたれする心を定め、「お世話さして頂く。」と先方へ返事した。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』86

という部分にあるのではないだろうか。お乳の出なかったシナさんが、この後しばらくしてお乳が出るようになり、預かり児はみるみる元気になっていった。真実の心は親神の不思議な守護の出来(しゅったい)をみるのだ。
親権というとてつもない強権を行使しようとする相手に対して、児相が争う姿勢を見せた例は少ないのではないだろうか。これこそが神が働いた姿に他ならないと私は感じている。

前回の『翻弄される里子。そして里親の哀しみ』でも書いたが、さっちゃんの実母には極めて軽度の精神疾患がある。その事実をもって実母に母親としての資格がないと断定することは早計だというご意見もあろうかと思う。それは当然だ。自ら望んだわけではない疾患を持つ方が、あまねく親権を放棄しなければならない社会が幸福であるはずはない。
また、そもそも「養育里親って一時的に預かって育てるだけ、ということが前提でしょ?」というご指摘もあろうかと思う。
それでも生後10日で引き取ったさっちゃんを愛情いっぱいで7年間育ててきた杉本夫妻にとっては、もはや実子同然なのだ。少なくともさっちゃんが幸せになれるという保証なくして手放せるわけがない。
さっちゃんを実の子同然と言い切る杉本夫妻と、お二人が実の親でないことを知りながら、当たり前のように「パパ」「ママ」と呼び、本当の子供になりたいと言うさっちゃんは、やはり生まれ変わり出変わりする魂が強固な因縁で結びついた親子なのだと思う。

また、視点を変えてさっちゃんの立場で考えるなら、実の母親のもとに戻されることは、幼い心で実の父母と思い定めた親に捨てられるということでもあるのだ。そんなことがあっていいはずがない。人の世には道理というものがあるのだ。道理に勝る法律などあってたまるものか。
実母と里親。せめぎあう二つの心情に優劣や正誤はないのかも知れない。だが、それにも増して優先すべきはさっちゃん自身の気持ちであろう。

さっちゃんとパパ たまちゃんUDONにて

里親制度は子供の幸せのためにあるのだから。
ではまたいずれ。





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