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夏休みの読書感想文『徒然草』考 その5

兼好法師の実家である卜部うらべ家が、代々京都の吉田神社の神職を勤める家系であり、歴代天皇の即位の礼にも、卜部家が亀卜きぼく(亀の甲羅を使った占い)を行ってきたことは以前の記事で書いたよね。
大正天皇の御大典にも卜部の家々に亀卜を行なうように命が下りているんだ。
そもそも、卜部家は古代から呪術的祭祀の「道饗祭みちあいのまつり」を司っていて、都の内外を画する境界で人々に害をなすモノ(疫病や悪鬼など)をくい止める役目も負っていたのさ。
さて、そうした出自を持つ兼好なのだけど、怪力乱心、あるいは百鬼夜行などの怪異について、どんな認識を持っていたのだろう?
『徒然草』の中にも怪異のたぐいについていくつかの記述があるけど、ほとんどの場合が「伝聞」という但し書きをつけて書いているね。
たとえば【第二百六段】では

徳大寺故大臣殿とくだいじのうだいじんどの検非違使けんびゐしの別当の時、中門にて使庁の評定行はれける程に、官人章兼くわにんあきかねが牛放れて、庁の内へ入りて、大理だいりの座の浜床はまゆかの上に登りて、にれうちかみて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師の許へ遣すべきよし、各々申しけるを、父の相国しようこく聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いづくへか登らざらん。わうじやくの官人、たまたま出仕の微牛びぎうを取らるべきやうなし」とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をば換へられにけり。あへて凶事なかりけるとなん。

 「あやしみを見て怪しまざる時は、怪しみかへりて破る」と言へり。

『徒然草』第二百六段

(Be訳)
徳大寺故大臣殿(藤原公孝)が警視庁のトップだった時の話だ。
中門で会議を開いている時に、下っ端役人の中原章兼の車を引っ張っていた牛が逃げ出した。牛は役所の中に入り、大臣が座るべき台座に登って食べたものを反芻させながら寝転んだんだよ。
その場に居合わせた役人たちが口々に「これは不吉な出来事でおじゃる。牛を陰陽師に見せてお祓いしてもらったほうがいいでおじゃりまするよ」とか言ったんだ。
それを聞いた公孝の父君である大臣の実基は「牛には分別なんかあれへん。脚があるねんから、そらどこにでも登るわ。たまたま出勤してきた下級役人の使う牛を取り上げても仕方がないがな」と言って、持ち主の章兼に引き渡したんだ。
牛が汚した場所の畳を取り替えてヨシとしたけど、その後、取り立てて凶事も起きなかったよ。
「怪異を見ても、それを怪異と思わなければ、怪異は成立しないのだ」と誰かが言っていたよ。

と書いている。
この段に関して、兼好のスタンスの中途半端さがどうも気になるんだよね。いつもの唯我独尊ぶりがなりを潜めている感じがするんだ。
当時は庶民も貴族も、鬼や物の怪などを現実に「在る」ものとして捉えていたはず。兼好もそれを信じていたのだろうか?
いやいや、それはない。兼好はそんなものなど全く信じていなかったはずだ。むしろ心の底で「そんなもんねえよ、バーカ」とあざ笑っていたと思う。
もしかすると『徒然草』での「怪異」に対する歯切れの悪さは、呪術的祭祀を司っていた卜部本家への気兼ねの表れなのかも知れないね。「物の怪」あっての卜部家なのだから。
もっとも兼好の父は分家していて、「神祇」ではなく「官吏」であったらしいけど、兼好は生家からの経済的援助も受けていたはずだ。彼が「怪異」について明快に否定できなかったとしても、無理からぬことではあるよね。
「いや、兼好は俗っぽいしがらみに対して超然としていた」
などと言う人もいるやも知れぬ。
何が超然か。
『太平記』を読んでみなさいよ。『徒然草』を著して久しい60代後半、兼好は権勢を誇る足利尊氏の執事であった高師直に金で雇われ、塩冶判官高貞の奥方に恋文を代書しているんだ。
当時、足利の執権に逆らうなどできるはずもないけど、真の隠者ならば「権威」にすり寄ることを潔しとしないはずだよね。まさか金に転んだとも思えないけど、兼好はあらゆるヨシナシゴトに対して超然としていたわけではないと思う。
文句があったら兼好を連れてきてくれ。直に聞いてみるから。

あ。話が脇道に逸れてしまった。
兼好は絶妙な表現で暗に物の怪を信じる者を馬鹿にしているんだ。

「奥山に、猫またといふものありて、人を食ふなる」と人の言ひけるに、
「山ならねども、これらにも、猫の経上りて、猫またに成りて、人とる事はあンなるものを」と言ふ者ありけるを、何阿弥陀仏とかや、連歌しける法師の、行願寺の辺にありけるが聞きて、独り歩かん身は心すべきことにこそと思ひける比しも、或所にて夜更くるまで連歌して、たゞ独り帰りけるに、小川の端にて、音に聞きし猫また、あやまたず、足許へふと寄り来て、やがてかきつくまゝに、頚のほどを食はんとす。肝心も失せて、防かんとするに力もなく、足も立たず、小川へ転び入りて、「助けよや、猫またよやよや」と叫べば、家々より、松どもともして走り寄りて見れば、このわたりに見知れる僧なり。「こは如何に」とて、川の中より抱き起したれば、連歌の賭物取りて、扇・小箱など懐に持ちたりけるも、水に入りぬ。希有にして助かりたるさまにて、這ふ這ふ家に入りにけり。

飼ひける犬の、暗けれど、主を知りて、飛び付きたりけるとぞ。

『徒然草』第八十九段

(Be訳)
「皆の衆、知ってまっか?山奥に『猫また』っちゅう化け猫がおって、人をとって喰うらしいやおまへんか」
と誰かが言うと、
「何を言うてまんねん。山奥だけやあらへん。ここらでも100年生きた猫は『猫また』に化けて人を喰らいまっせ」
と別の者が言った。
それを聞いていた行願寺の近くに住む僧侶兼連歌師の某阿弥陀仏さんは、
「うわぁ。ワシは一人であちこち行くことが多いさかいに、気ぃつけなアカンなぁ」
と、マジでビビった。
その矢先のことだ。夜更けまで連歌の会でブィブィいわせ、しこたま賞品をせしめて帰途についた連歌師は、小川の畔で恐怖の『猫また』と遭遇してしまった。((((;゜Д゜)))ガクガク
『猫また』は狙い澄ましたかのように連歌師の足下に駆け寄ると、飛び上がって首に食らいついた。
恐怖に腰が抜ける連歌師。
抵抗するいとまもなく小川に転げ落ちてしまった連歌師は
「ぐわぁ!助けてくれー!猫またやあ!猫またが出たぁぁぁぁ!ギャーアアア!」と叫んだ。
叫び声を聞きつけた近隣の者達が、松明を手に駆けつけてみると、声の主は近所に住む僧ではないか。
「御坊、どないしはりましたんや?」と、村人に助け起こされるが、せっかく連歌の会でブン取ってきた賞品の扇や小箱などは、すっかり水浸しになってしまっていた。
しかし九死に一生を得た連歌師は、「そんな物はどうでもいい」とばかりに、ほうほうの体で家に転がり込んだという。
しかし、実際は主人が戻ったのを知った飼い犬が、喜びのあまり飛びついて、顔をなめただけらしい。


やはり兼好、黙ってはいられなかったようだね。
お得意の僧侶イジりであるけど、「怪異」が人間の想像の産物に過ぎないことをさりげなく主張しているよ。
兼好は僧侶や貴族を諧謔をまじえて描く時、現代の「お笑い」でいうところの「オチ」をつけることがあるけど、この段ではキレいなオチになってるね。遠回しに、
「そんなもんねえよ、バーカ」
って言ってる。やはりただ者ではないね兼好。
性格悪いしwww

(この段、しまい)

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